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目の前を泳ぐ龍を払い除けて道を行く。だが、次々と視界に浮かぶ立体映像の広告、誰かの操るアバターやAIが拡張現実上を狂騒的に踊り回り、男の行く手を遮った。手で追い払っても意味はないと分かっていたが、反射的にそうしてしまう。
すべては手からすり抜けるばかりで、確かなものがここにはなかった。あるとすれば手のひらを濡らす己の血液くらいかと思うが、冷えて固まったそれは実態を欠いているようにも思えてならない。
頭上を通り抜ける風の音に怯えて仰ぎ見るが、そこにあるのは天を塞ぐ無機質で冷たい構造物だけだ。どこまでも高くそびえ、血管や神経を伸ばすように電線やワイヤー、パイプなどが建物同士を繋いで縛り合っている。雨が降っているようだったが、こんな下層では雫が伝って落ちる程度で、空から直接下りてくるものに触れることはできなかった。
唇が乾いている。喉もカラカラだ。だが、今は身を隠すことが最優先事項だった。朦朧とする頭に鞭を打って歩き、狭い路地に身体を滑り込ませて迷路のような道を行く。ふらつく身体を支えようと壁面に手を突くが、ざらついた感触がひどく遠く感じられる。
ゴミと水の腐ったような臭いを嗅ぎながら、非合法の電脳クラブの入り口に辿り着く。扉を押し開けて入れ墨だらけの店主に金を掴ませると、昏い店内の隅にある個室に入りしっかりと鍵を締めた。
部屋は狭く、大きな曲面スクリーンと各種インターフェイスを含むネット端末が、机の上に一式置かれている。エアコンが利いており、外よりは快適だ。
懐の拳銃を机に置き、血で汚れた服を脱いで、腹部に受けた傷の様子を見る。刃物で一突きされたが、それほど深くはなさそうだ。が、今はそれをしっかりと確認するすべもない。カバンを開け、緊急用の医療パッドとペットボトルの水、ガーゼを取り出した。傷口に付いたゴミを取り、水とガーゼで血を洗い落とすと、脱いだ服の比較的綺麗な部分で水気を拭き取り、パッドのフィルムを外して傷に当てた。柔らかなパッドはピタリと肌に吸着、収縮して傷口を抑え込んで広がらないようにその機能を果たした。まだ痛みはあるが、少しはましだ。
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