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「関わるべきじゃなかった」
男はそう言うとログアウトし、急速に物理現実へと帰還した。コードを外し、素肌に直接上着を来て前を閉めると、痛む腹をかばいながら店を後にした。
湿った空気の中を当て所なく歩いていると、脳裏にあの女の酷薄な笑顔が蘇った。頭の中に貼り付いて離れない。
訳のわからない化け物のようななにか。本人はAIと言っていたが、にわかには信じられなかった。人間がそのような振りをしていただけなのではとも考えたが、そんなことをする理由が思い当たらない。どうあがいても憶測にしかならなかった。
頭はまだ朦朧としていた。雑多な匂いの入り交じる市場、そこを行き交う人々の間を歩いているが、なんだかすべてが疑わしく思えてくる。あの女の話していたことが気にかかっているのか。
人の流れに押され、身体がふらりと泳いだ。倒れないよう露天の支柱を掴むと、濡れて冷えた金属の感触が伝わってきた。だが、VRで感じた紅茶の熱とこれがどう違うのか、男には説明ができなかった。目の前を通り過ぎていく、血肉を持った人や身体改造者、アンドロイド、ARやVRのアバター。そのどれもが物理現実という同じレイヤー上で肩を並べて歩いており、そこに大きな差異があるようには見えない。
男は必死に考えを振り払い、再び歩き出した。また襲われないようにとアンドロイドに注意を払うが、どれもこれも怪しく見えてくる。
眠りたい。夢を見ないほど深く眠ってから目覚めれば、きっとものの考え方は落ち着くはずだ。今は少し混乱しているだけに違いない。自分のしてきたことすべてが無意味だったなどと、そんな馬鹿げたことを少しでも信じそうになっているだなんて!
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