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例文のような不自然さで
俺はいよいよ彼女まであと3歩まで近づいた。ああ、彼女の美しい顔をこんな間近で見ることもなかなかない。
遠くの音楽室から聞こえてくる吹奏楽部の曲が変わった。チャイコフスキーの『イタリア奇想曲』だ。トランペットの華やかな三連符が響いてくる。奇想とは普通では思いもよらない考えのことだが、まさに彼女の存在が奇想だ。近づくことすらまともにできない。
俺は勇気を振り絞って、さも何事もなかったかのようにふるまって、必死に爽やかに挨拶した。
「やあ、こんにちは!」
ああ、なんだこの挨拶は。我ながら恥ずかしい。よくこんな笑顔を作れたものだ。いや、彼女の存在は俺を笑顔にさせてしまうのだ。
「こんにちは。調子はどう?」
彼女がそう言って微笑みかけてきた。なんてことだ、彼女が普通に返答してくれるなんて!
声をあんまり聞いた覚えがなかったので、余計に新鮮だった。彼女は結構声が低い。低いトーンでしゃべるから、年よりもだいぶ落ち着いて見えるんだ。
「ああ。元気だよ、俺は。今日は5月らしく晴れていて、とてもいい気分だ」
なんだ、この会話は。英語の例文のような不自然さで俺はそれでもなお高揚感のまましゃべった。
その瞬間、俺は彼女の背後から小さなユニコーンが6頭ほど走ってくるのを見た。ユニコーンはそのまま俺の脇を駆けていき、どこかへ消えた。
俺は確かに見たんだ、紫色の体で金に光る角を持つユニコーンを。
俺は思わず振り向いてユニコーンが駆けて行った先を見た。たしかに教室を出て行ったように見えたが…気のせいか?
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