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「ああ。その前に、お前にお土産があるんだ」
真が箱を差し出した。隆子の好きな店のロゴが入っている。隆子は目を細めてそれを眺めた。わかりやすい人。浮気をしている夫が妻にプレゼントをする例など、テレビドラマやワイドショーで見飽きている。
真は隆子の胸の内には気づかない様子で、調子よく、いかにも良い夫を演じている。
「伊吹屋のケーキだ。好きだろう。取引先まで行ったついでに買ったんだ」
「今日って、何かの記念日?」
「何かないと、買っちゃ駄目なのか」
「そんなことないけど」
「お前、職場に嫌な人がいるって、山室さんに会った時聞いたからさ。頑張ってるんだな。たまには俺からご褒美があってもいいだろう」
しらじらしい。隆子は、眉間に皺が寄りそうだったので、床に落ちているゴミを拾うふりをして前屈みになった。夫と愛人のやりとりを思い出す。「離婚する」のひと言が耳鳴りのように唸りを上げている。そうか、別れるつもりだから優しくできるのか。ならば遠慮なくいただくわ。どうせあなたは私によって、ロシアンルーレットにかけられるのだから。
「じゃあ、早速食べるわ。紅茶淹れなくちゃ」
伊吹屋。覚えていたのは罪滅ぼしのつもりなのか。何て単純な。ケトルのお湯が沸点に近づくに従って、隆子の怒りが全身に冷たく広がっていくのを感じた。
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