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母は亡くなり、父は新しい家族と遠方にいる。他に血縁者はいない。自分には失うものはない。何でもできるじゃないか。
まるでサスペンスドラマだ。考えては駄目だと心に言い聞かせても、よからぬ想像は隆子の胸の内を去ってはくれない。
彼が死ねばあの女は悲しむ。日陰の身では病院での面会や医師からの説明を拒絶され、彼の臨終にも立ち会えない。死後、葬儀にも出られない。そして何よりあの女が望む子供の認知も叶わなくなる。あの女に何一つ渡すものか。思い知ればいい。味わえばいい。日陰の身の辛さをとことん。私の苦しみより何倍も多く。日陰の身だということを承知で子供を生んだのなら、それくらいの覚悟はあってしかるべきだ。だから早くしなければ。彼が子供の認知をしてしまう前に。
隆子は頭を抱え、よろよろと居間に戻ると、ソファに雪崩れ込んだ。動悸が止まらない。
隆子を山菜採りに誘ったのは、亡き母信子の友人だった山室美世という近所の主婦だ。何かと隆子に目をかけてくれる。山菜採りが好きで、春には決まって何ヶ所かの山へ行き、様々な山菜を採ってくる。隆子も皮剥きなどの後処理を手伝う。
山菜採り仲間の転居を機に、美世が隆子をしきりに山へ誘うようになった。春先の札幌市近郊には冬眠から覚めた羆の出没が相次ぐ。いくら慣れている山でも、流石に年配になると、一人で山に入るのが怖いのだ。
「ねえ、隆子ちゃん、わかんなかったら教えるし、山菜採り行こうよ。あのね、山の空気を吸うと、イオン効果で身体がリセットされるんだって。健康にいいの。ねえ、行こう」
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