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おれはちゃんと、その言葉を聞きとっていた。ただ、真意がつかめなかった。声音はいつもとそう変わるものではなかったと思うし、窓の外を見る顔はどんな表情をしているか見ることができない。からかっているのか、何も考えていないのか、それともすごく真剣な言葉なのか。
それが分からなくて、おれは黙ってしまったのだ。
「図書室、いこっか?」
数秒後。振り向いた彼女はいつもと何も変わらなかった。何か大切なことを言った後だとは思えなかった。
「ああ、そうだね」
だからおれは聞き返さなかった。
そしてそれから何も変わらないままおれたちは卒業して、別々の大学へと進んだ。
ぼんやりと窓の外を眺めていると、生徒の上履きの音とは違う足音が後ろから近付いてきていた。
「稲見、何してんの?」
そう呼ばれて、溜息をつきながら振り返る。
「伊藤先生。学校ではちゃんと先生ってつけてくださいよ?」
何度言ったか分からないセリフを吐きながら、苦笑いを浮かべる。
「別に生徒がいるわけじゃないし、いいでしょ?」
「いや、ここ職員室じゃなくて廊下ですから。どこに生徒がいるか分からないでしょう?」
「はいはい、分かりましたよ稲見先生」
仕方ないというように彼女は頷いた。そして窓の外に顔を向ける。どうやら特別用があったわけではないらしい。
「帰りに雨なんて、生徒たちも大変だ」
「そうですね。まだ残ってる生徒も今日は多いですよ」
「はは、そうですか。……ほんと、帰り時の雨なんて嫌になりますね」
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