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「そんなんだから、あんたその歳になっても彼女の一人も居ないのよ」
薄暗い店内を流れる歌謡曲のメロディーに、言葉をひそめるような小声のままで、佐藤はボソボソと文句を言った。
「大体、女の子とサシで呑むのよ?それがこんな裏路地くんだりまで連れ込んで、ドブ煮とビールで乾杯なわけ?」
「別に一杯目だからビールを頼んだだけであって、焼酎だろうが日本酒だろうが構わないよ」
佐藤は無言で肩を竦める。彼女の肩に口があったら「あきれた」とでも言いそうだった。
「もしも、もしもよ?百分の一ぐらいの確率で、あんたがお洒落なバーなりレストランなりに、私をエスコートしてくれるかもしれないわ、なんて思って着飾ってきたのよ?逆に私浮いちゃってるじゃない」
「着飾っていい男とデートに行ったけど、育ちの悪さが露呈して振られた女子大生がヤケ酒してるって感じで、とてもよく似合ってる」
コリっという小気味のいい音がして、足の親指に激痛が走る。足元を見ると、彼女のヒールが突き刺さっていた。
「僕としては、バイト中にいきなり電話をかけてきた誰かさんの、どこでもいいから飲みに連れてけという駄々を聞いたんだし、さっきの嫌味だって聞き流したんだ。理不尽な報復は、哀しみを生むだけだよ」
そう言いながら、僕は煙草に火をつける。
「あんたが哀しんだところで、誰も共感してくれないわよ。誰にも共感されないような哀しみなんて、そのうちあんたが忘れて終わりでしょ」
佐藤は勝手に僕のセブンスターを手にとって、蓋をとん、と叩いては、一本取り出し火をねだる。僕は表情筋が許す限りの嫌そうな表情を浮かべてから、彼女の煙草に火をつけてやる。「ありがとう」の一言もなく、吐き出された煙を目で追った。
やがて煙は、消えてゆく。けれども佐藤は、黙って天井を見つめたままでどこかか遠くに意識を飛ばす。まるでその向こう側にある空を、見つめているような目だ。こいつは今、何処にいるのだろう。そんなことを、酔った頭でただ漠然と考える。
当然、答えは出なかった。
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