今も、忘れない

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今も、忘れない

 生涯消えることのない景色。それは長く生きてさえいれば、誰でも持ち得るものだろう。ふとした時に繰り返し思い起こされるものや、宝物のように大切に取り出す類のもの。そして突然、〝今になって〟と困惑しながら思い出される、頭か心の奥に保存されていた景色。  私が思い出したのは妻との出会いの時のことだった。光が強すぎて、輪郭を失くした抽象画のようなそれは、私の目の前に突然映し出された。少し前を歩く妻は ( この時はまだ妻になるだなんてこれっぽっちも思っていなかった ) 、こちらを振り返り手を伸ばしている。まだ互いに若々しく、光が体を透過しているみたいに陰り一つない。私は伸ばされた手を握ってしまうと、まるで膨らみ切った風船のように心臓が破裂してしまうんじゃないかと思えるくらいに緊張し、それほど妻に恋慕していた。あれから幾年も過ぎ、長い時間をかけてその風船の空気が抜けていったのだと思わないでもない。しかしなぜこんな瞬間にこんな景色が思い出されただろう。妻が段々と冷たくなっていっている。     
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