いし

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旅行から帰ってきた夫が、私に「土産だよ」と差し出してくれたもの。 それは、小さく白い、丸い石だった。 「耳に、近づけてごらん」  言われたとおりにすると、蝉の声や、カナリアの鳴き声、花火の音など、懐かしく楽しい音が次々に聞こえてきた。 「驚いただろ、これ」  夫が自慢げに笑った。 「これ、どうなっているの?」  振ってはみたものの、手触りは石ころそのもので、中には何か入っているような感じもない。電灯にかざしてみたけれども、やはり何も透けていない。 「河原で、石やら骨董やら売っている露店があって、500円で買ったんだ」 「そう」 「なかなかのものだろう、ああ腹が減った。飯にしてくれよ」 「……いま作るわ」  値段まで言わなくても良いのにと、思ってしまった。まるで私が、500円ぐらいの価値しかない女みたいだ。  今回の旅行だって、学生時代の男友達と行くって話していたけれど、どうだかわからない。  口ではいくらでも、嘘がつけるから。  夫は嘘をついて、逃げるのが上手だ。嘘を重ねて、重ねて、ばれても周囲のせいにする。話がうまいことと、相手を持ち上げて要領よく生きてきたつもりだろうが、いつまでも通じるわけでもない。    もうとっくに、愛情のない相手への食事を私は、どうして作っているのだろう。沸々と煮えている鍋のなかで、焦げ付きそうになっているカレーをじっと見ていた。  夫は「暑かったから」とバスルームへ行った。  エプロンのポケットに押し込んだ石を、取り出してみた。耳に近づけると、さっきと同じ、懐かしい音が聞こえてきた。 「こんなもの……」  私は鍋のなかへ、石を放り込んだ。  ジジジ、ピイピイ、ドーン、パチパチ、ジワジワといろいろな音が同時に聞こえて、すっと消えた。  レードルでかき回してみたが、石も見当たらなかった。 「どうしたの?ああ、今夜はカレーだ」 「何でもないわ。そうだ私……食欲がなくて風邪気味みたい、先に休むわね」 「大丈夫か?あとはやるから、寝てれば良いよ」  夫は優しい表情を浮かべ、鍋をのぞき込んでいた。  真っ暗のまま、ベッドで横たわりしばらくたつと、隣のリビングから、夫の苦しそうなうめき声が聞こえてきた。  ジワジワ、ピイピイ、ドーン、パチパチ。  音たちが混ざって、はじけて消えた。  静かになるのを待ち、私はそっと、目を閉じた。  
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