プロローグ

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プロローグ

 真っ暗な部屋で襖を10センチほど開けた隙間から、理人は隣の部屋をじっと見ていた。 理人の目線の先では母ちゃんが思いつめた表情をしている。 その母ちゃんの背中を婆ちゃんが優しく撫でながら何かを言っている。 母ちゃんが悲しい顔をしている理由を、理人は知っていた。 小学校に上がって半年が過ぎようというのに、理人は未だに文字が書けない。 今日母ちゃんは担任の村井先生に呼ばれて、学校へ行っていた。 理人はその口元に笑みを称えたまま、両手の拳をぎゅっと握りしめた。 理人が文字を書けないのは、もちろん理人がわざとそのようにしているのではない。 1年前に父ちゃんが交通事故で死んだ。 それまで都会暮らしだった理人は、母ちゃんに連れられて田舎の母ちゃんの実家で暮らすことになった。 「理人、ごめんね。 でも、母ちゃんの実家なら爺ちゃんや、婆ちゃんもいるし。 きっとお友達もすぐにできるよ!」 笑顔でそういう母ちゃんに、理人は笑顔で返した。 母ちゃんはいつも理人の前では笑っていた。 それはいつもと変わらなった。 でも・・・、ある時理人はみてしまったのだ。 夜、トイレに行こうと起きると、キッチンの椅子に座った母ちゃんが、父ちゃんの写真を抱いて泣いていた。 その時、もう父ちゃんには逢えないのだと、思った。 そして、母ちゃんを父ちゃんの代わりに守らないとならないと思った。 友達との別れ。 環境の変化。 父ちゃんの死。 理人は泣かなかった。 いつも笑っていた。 爺ちゃんちの隣に住んでいる田代のおばさんは、ふらっと現れては自分の喋りたいことだけを喋って帰る。 「あら、あなたが理人ちゃん?」 「うん。 僕、榊 理人です!」 理人はありったけの声で挨拶をする。 「まぁまぁ、元気ねぇ。 それにしても・・・・」 田代のおばさんは婆ちゃんを見る。 「恵ちゃんも大変よねぇ。 こんなに小さな子抱えて、旦那に死なれちゃうなんてさぁ~」 婆ちゃんが理人の顔をチラチラ見ながら困ったように返事をする。 「え、えぇ・・・・」 それに気づいた田代のおばさんも理人を見た。 「あらぁ、大丈夫よ。 小さな子供だから、わかってないわよ。 ほら、笑ってるじゃない」 そう言って、話は田舎の小さな町の少ない住人の噂話へと移っていった。 理人はわかっていなくなどなかった。 ちゃんと理解もしていたし、自分が言われていることもわかっていた。 ただ、泣かなかっただけなのである。 寂しい、もとのお家へ帰りたい、父ちゃんに会いたいと、ただ、言わなかっただけなのである。 そして母ちゃんが泣かなくて済むように、ただ笑っていた。     
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