手羽先

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岡田さんは、じっと私を見ていた。 見ていて、それから目元を緩ませ優しく微笑んだ。 緊張感のある沈黙に耐えられずに口を開いた。 「このお店前に来た事があります。手羽先美味しいですよね。味付けがしっかりしてて」 「えぇ」 再び沈黙が訪れた。グラスの表面についた水滴が流れ落ちるのを見ていた。 店員さんが運んできた『丸ごとレタスのサラダ』を小皿に取り分けて岡田さんへ渡す。 「ありがとう」 岡田さんの指先が少しだけ私の指に触れた。 「あの……聞いていいですか?」 岡田さんから問いかけられていた。 「はい、なんでしょう?」 サラダから視線を岡田さんへと移す。 岡田さんは、私を見て額を少しかいた。 「よければ教えてくれませんか? 貴方の名前」 ハッとして岡田さんを見つめた。自分だけ岡田さんの名前を聞いて知り合いになれたと安心していた。 「そうだ!言ってませんでしたね。宮坂 亜紀です」 「漢字は?」 「八幡宮とかの宮に、坂道の坂、亜熱帯の亜に、紀元前のきです。わかります?」 「はい、わかりました。亜紀さんですね」 ニッコリと微笑みながら、初対面の女の名前をすぐに呼べる男は相当女慣れしていると思う。 「岡田さんって彼女いるんですか?」 「いたら女性を食事に誘いません」 「そうですか」 ほっとしている自分がいる。 今日初めて会った男に恋心を抱いたのじゃない。そんなに簡単には惚れたり出来ない。 ただ、かなり意識はしていた。 目の前に存在している物体が、私がこれから恋するに値する対象になりうる大人の男だ……ということを。
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