掌編小説 狂信の体にしみる悲しみは、波紋となって空へ響くか

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 死にたくない。そして、生きたくもない。言葉は空しく輪廻に響く。次に生まれるのは地獄か修羅か。少なくとも人間に生まれることはない。私が世界最後の人間だ。子も産み落とせず、孤高に思惟する。私が死ねば人間という言葉は無くなる。いいや、そんなのどうでもいいことだ。私は永遠を手に入れた。最後の人間として、他の世界の何者かに歴史を示すためだけに、存在するばかりである。  全人類を託す人間が、私のような者でよかったのだろうか。徒然なるままに自問自答する。まだ有機の体であった頃、私は怠惰で、色狂いで、暴食暴飲で、強欲な馬鹿者であった。誠実な者や、特に善を尊ぶ者たちからは、白い目で見られたものだ。そんな私が、彼らの記憶も保存している。これは酷い皮肉ではないか。  ただ広い自然を練り歩き、そんな自問自答を繰り返す。与えられた永遠は、私を快楽と苦痛の渦に突き落とす。真理に近づく知的快楽。深まる孤独に感じる俗的苦痛。人間には、この大役は重すぎる。  何度、冬を味わったことか。生物たちが死に、雪の舞う中、世界を傍観した。言葉を交わす者はいない。心を交わすものでさえすぐに死ぬ。死の世界に防寒の身でありながら、否、寒さの感覚がない身でありながら、孤独に心は震えていた。それでも私は、人間の記憶を保存して、移りゆく世界を記録しなければならない。  何度、死を味わったことか。愛でる物もいつかは死に、腐って骨だけになる。私は小鳥を飼っていた。春には楽しく共に歌い、夏には私の周りを飛んで虫を捕る。秋には木の実をついばんで、冬には私の懐で、冬毛を震わせ暖をとった。  四季は二、三度廻った。雪解けに若草が萌える。喜びの春だ。土のにおいに喉から声が溢れようとする。友と喜びを分かちあい歌おう。愛らしき毛玉に声をかける。 「春が来たぞ」  しかし返事はない。震えていた冬毛さえ沈黙する。私は手で包み込み、小鳥を陽光に晒した。いつまで眠っているのか。寝坊助に息を吹きかける。タンポポの綿毛のようになびいて一枚が抜けた。白雪の羽根が舞い落ちる。春だというのにぼた雪が一つ、泥の地面に乗っかった。 「さあ春だ、目を覚ましなさい。今年も共に歌おう」
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