掌編小説 狂信の体にしみる悲しみは、波紋となって空へ響くか

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 さまよい続けて幾月か。青草の香る山の中、露に濡れつつ歩みを進める。そこで見つけた小さな池には、大きな蓮の葉が浮いていた。そのまわりには、囲うように睡蓮の蕾が突き出る。成仏へのあこがれか、私は葉の上に乗ってみた。私の動きに波紋は広がる。睡蓮の葉が共鳴する。蓮は私の重みに歪んでも、破れて沈む様子はない。  私はそこで座禅を組んで、自分のために祈ろうとした。それは単なる睡眠か、はたまた瞑想か。手を合わせて心を静める。ただ目に見えるのは暗闇だった。  ゆっくり呼吸をする。この場所の空気に身を解かす。魂は自分自身の外にある。それは主観的な客観視ではない。心の奥深くの自分と、観ている自分は別人だ。蓮に座る自分が見える。呼吸に合わせて漣がたつ。睡蓮は共鳴して細かく揺れる。ただひたすらそれだけ。それ以外でも、それ以上でもない。私は波と葉を観察する。  規則正しき波紋は、池の縁で砕けて消える。それでも波は何度も生まれて、絶えることなく端まで泳ぐ。それはまさに万物の一生だ。生まれて進んで、いつか死ぬ。それを何度も繰り返す。だけど波に解脱はない。永遠と繰り返しに呪われるのみ。私はそんな波を憐れんで、救い出そうと祈った。
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