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だいたい、この作者葛城天道ってヤツは、ゴタゴタと真理とか心理とか、御託をほざきたがって、ウザったいんだよな。言葉をこねくり回すばかりで、おかげで、俺もそのワリを食ってしまう。
なんで、シンプルに行かないのかね。行けないのかね。なあ、どう、思うよ、おたく・・痛快、ワクワクドキドキで荒唐無稽、勧善懲悪、善玉はひたすら正しく地道に、悪玉は正直に悪く、最後は滅びる。そして・・後には何も残らない。一幕の夢、それで、いいじゃないか。
なあ、物語・御伽噺なんて、所詮そういうものだろう?SFだ、何だといっても、御伽噺だ。それでいいじゃないかよ。
俺は、ラッキーセブンに百円ライターで火をつけて、そのクセの在る紫煙を吸って、吐き出す。その気になれば、一息で、タバコの半分まで灰にすることが出来るのだが、そんなのは、女の子と親しくなるときのための持ちネタでしか見せてやらない。そうだろ?真理だなんだかんだ、そんなうっとおしいもの、読者は、求めちゃ居ないんだよ。そんなものが、生きる中で役に立ったためしが無い。
木の葉が沈んで、石が浮くのが、この”浮世”ってものじゃないか。悪く、要領のいい奴がのし上がるように出来ている。世の中は、不条理なんてものじゃない。
そして、だからこそ、主人公は、並みの人間じゃいけないのだ。そこが、読者のような人間では、つまらないじゃないか。だってそうだろう、自分と同じ人間が努力一本でうまくやるってのは、読む人間が、自分の不甲斐なさを思い知らされるだけで、つらくなるだけじゃないか。
”特別な人間”が、この世の不条理でのし上がった悪人を懲らしめる。それが、御伽噺の要諦ってもんだ違うかい?
だから、こんな物語を進呈しようじゃないか。
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