エイスマンだよ

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 原作者の住居は、横須賀の”砲台山公園”近くのアパートにある。  俺は、愛車の灰色・・ドブねずみ色というやつも居るが・・のブル3Sを駆って向かった。エンジン音はいわゆるのブルとはぜんぜん違う。たんまりと金を注いで、チューンナップしているのだ。正直、公道を走るのが間違いのレーシングカー仕様になっている。しかし、その分、じゃじゃ馬なのは言うまでもない。こいつを乗りこなすためには、並の運動神経じゃつとまらない、まさに俺の専用車なのだ。こいつで何度、追いすがるパトカーをぶっちぎったか。  俺は、湾岸高速を、左手にエド湾対岸のメガロポリスを見ながら走らせる。その意味では、エド湾はメガロポリスと旧市街地を隔てる円環状の大河の趣になっている。一応、横須賀辺りだと外洋船が行き来できるようになっているのだが、それでも、地図を見るとなんというか、馬鹿でかい城の外堀のイメージかもしれない。  さきの太平洋戦争で大空襲を受けた日本帝国首都の江戸市だったが、早々に米国と講和した結果、その復興は空前の戦後の好景気の結果、すぐに終わってしまった。そこで発展する江戸市は、エド湾に江戸市を拡大することを決定した。  湾を埋め立てるのではなく、直接海底からビルを建てるのだ。その結果、エドメガロポリスの景観は海底からニョキニョキと白く巨大な煙突群が伸びている感じであった。自然物の感覚がまったくない。そしてそれらを回廊でつないで、巨大な島を形作っているのである。  そこで巨大な利権が動くのは、人間の活動である以上、当然であるというしかなく、また利権が動かない場所は、それだけ魅力のない場所ということに成ってしまう。  当初は、もっと都市計画を立てての建設になるはずだったのだが、その活動は、民間が主導し、暴走状態になっていた。そこで、いろんな悪事が行われるようになるのは、むしろ人間的であるというしかなかろう。  そうして、野放図に生まれたエドメガロポリス、地図で見ると、なんとも歪なドクロのような格好になっているのである。その結果、通称”スカル・シティ”と呼ばれるようになっているのだが、その意味では、まさにエドメガロポリスこそ、俺の本拠と言っても良いのだが・・  まずは、今の俺はおとなしく湾岸高速を、むしろ今はエドメガロポリスの衛星都市化した横浜をとおり、横須賀へ走った。
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