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「ちゃんと備品リストに書いてあるな、ペグシルって。ごめん。名前知らなかったから」
「いいんですよ」
掲示板を見る。次の電車は十分後だ。到着する時刻を伝えベンチに座った。
「それより、諒次さん、寝ましたか」
「少しは寝たよ」
「少しってことは、三十分くらいですかね?」
諒次はうなった。
「完さんこそ、寝てないだろう」
「いいから、ぼくが着くまでは横になっててください。備品のたぐいは、こっちでチェックします。いいですか。劇団のことを考えて、少しでも身体を休めてください。それも演出の仕事ですよ」
「わかったよ。でもそろそろあいつらが来るはずだ」
「もう? でも予定は」
「みんな落ち着かないんだよ。本番前は、誰でも同じだな」
勘違いして悪かったと言い、諒次は電話を切った。
携帯電話をポケットにしまい、目を閉じた。次に目を開けると、いつの間にか電車がホームに入っていた。慌てて立ち上がり、車内に駆けこんだ。
ドア口に立って、外を眺めた。すぐ横の席に老人が二人座っていて、午後から雪になるだろうと話している。工場が飛ぶように過ぎて行く。住宅地の低い屋根が続き、ビルの林に変わってゆく。立ったまま目を閉じる。
あの諒次が「勘違いして悪かった」と謝るなんて、以前は思いもしなかった。
最初に彼の名を目にしたのは、シナリオの雑誌だった。『鳴かぬホタル』という、他界した兄をモチーフにした諒次の作品は、コンクールの大賞を獲得し、審査員に絶賛された。諒次は広島市出身で現在は東京に住んでいると書いてあった。自分の名前を探したが、優秀賞にも、佳作にも、完の名前はなかった。
次に諒次の名を見たのは子ども向けの特撮番組だ。諒次は六本のシナリオを担当した。特に印象的だったのはベルトを使って変身するヒーローが、記憶を失う話だ。ヒーローは自分自身が変身しても、それが現実だとは思えず、夢の中にいるようだとつぶやいた。やがて「夢の中が現実であって何が悪い」と自らに問いかけ、「それは月を手に入れるのと同じだ」と自答する。録画したそれを繰り返し見た。
自分とは違う人種だと思った。パラレルな世界に住む人のように、同じところがまるで見つからない。このまま諒次は東京でスポットライトを浴び、自分は深夜のビル清掃のアルバイトとして一生を終えるのだろう。そう思っていた。
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