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いつも人のいない管理人室と、部屋番号だけが記された銀色の郵便受けを過ぎ、エレベーターで五階にあがる。風が吹きこんでくる共有廊下を歩き、田口と書かれた五〇五号室のチャイムを鳴らす。誰も出てこなかった。ドアを開け、三和土で靴を脱いだ。
玄関から奥に向かって真っ直ぐ廊下が走っている。手前の二部屋が洋間、奥が浴室と日本間になっている。突き当たりがリビングだ。歩幅で長さを計りながら歩くと、じっとり手に汗をかいていた。
リビングのドアを開ける。すでに三人がそろっていた。美妃と宮竹、それに黒のシャツを着た諒次だ。みな二十代で、宮竹と諒次が二十九歳、丸顔で垂れ目の、パンダみたいな印象の美妃は二十四歳だ。
宮竹は片手をあげたが、諒次はさっと一瞥をくれると脚本に目を落とした。眉間に深い皺が刻まれ、目の下には隈ができている。美妃だけは顔をあげなかった。浅く息を吸うと、声を発した。
「そっちに行っちゃだめだって言ってるでしょう。ほら、こっちにおいで、こうちゃん」
くっきりとした、よく響く声だ。口跡がいいのは美妃の長所だ。
「ただいま」
ジーンズのポケットに手を突っこんだまま、宮竹が言う。
「こうちゃんったら、もう」
「浩太がどうしたんだ」
「あら。あら。いつ帰ってきたの。ただいまくらい言ってくれたらいいのに」
「ビール飲むかい?」
「飲まないわ。浩太、さっきから外に出たいって聞かないの」
「たまにはいいじゃないか。あとで散歩に連れていくよ」
「あまり夜遅くに浩太を連れまわさないで。寝なくて困るんだから」
美妃と宮竹のやりとりが続く。諒次はきりのいいところまで続けるつもりなのだろう。完全にセリフが入ってからも、諒次は読み合わせを行う。
ドアを閉め、邪魔にならないよう足音を忍ばせて壁際に移動する。
リビングは南側一面が掃き出し窓になっていた。壁際に液晶テレビが置かれている。アクリルのテレビボードの上にはテレビだけでなく、写真も飾られていた。大小さまざまな写真立てが所狭しと並んでいる。一番大きいのは細かい彫刻の入った木製のものだった。写真は若いころの豊子と、夫である正一郎の二人で、アマレスのタイツを着て手を繋いでいる。国体で知り合ったのだと以前に諒次が話していたから、そのころの写真だろう。
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