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ずっと溜めこんでいたのか、美妃は一息に言った。彼女が忘れ物を取りに戻ると、諒次と豊子が言いあいをしていたのだという。豊子は映画に行きたくないと訴えたが、諒次は聞き入れなかったらしい。
「リビングで二人は話してて、あたしは玄関にいたんですけど筒抜けでした。すごく大きい声で。お母さんを怒鳴りつけるだけじゃなくて壁まで叩いて」
「それは驚いただろうけど、どこの家庭でもあるんじゃないかな。家族の問題は難しいから」
「それだけじゃないんです。あたし、なんだか気になって、馬見塚さんに相談したんです。そうしたら、馬見塚さんは、諒次さんが豊子さんを連れ出すよう、叔母さんに頼んでいるのを聞いたって言うんです。そういうの、変じゃないですか」
妹が待ってる、という豊子の言葉を思い出した。
「お父さんも追い出してるんだと思うんです」美妃は憤然とした口調で続けた。「だから、お父さん、いつも出かけてるんですよ」
これまで、諒次は自宅に劇団員を招いたことはなかった。一番長く一緒にいる完でさえ、家族構成も知らなかったくらいだ。諒次のマンションにあがったのは三日前が初めてだった。そのときから正一郎はいつも出かけていて、まだ姿を見たことがない。豊子は茶を出したり、物の移動を手伝ったりしてくれていたが、稽古が始まると外に出かけてしまった。
正一郎と豊子は、たまたま用事が重なっていたのだと思っていた。しかし豊子と美妃の話を総合すると、諒次が追い出しているように思えてくる。
腕を組んで時間を稼いだ。
本来ならば、有無を言わさず連れ帰るところだ。しかし、悩みを打ち明けられて何も言わないままというわけにもいかないだろう。
そっと美妃を見てみる。黙ってうつむき、足をぶらぶらさせている。
「美妃ちゃんの気持ちもわかるよ」
「ありがとうございます」
平坦な声で美妃が言う。寒さで引きつりそうな頬を緩め、なんとか笑顔を作った。
「でもね、それはたぶん、君たちの邪魔にならないよう配慮したんじゃないかな」
「そうですかねえ」
「あまり悪く考えないほうがいい。今回は会場も急にキャンセルになったから、諒次さんも少しセンシティブになってるんだと思う」
「そんなタイプには見えません」
「美妃ちゃんの気持ちもわかるよ」
わざと真剣な口調で言うと、美妃は顔をほころばせた。
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