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幸せが崩れた日
少年の瞳は、夜の始まりを溶かし込んだ色をしていた。
夕日が沈んで茜色が遠退き、迫る青色が深くなっていく、あの透き通った群青の空の色だ。
「お前の瞳は、夜空の青だね」
少年の母親は、少年が幼い頃によくそう言った。
少年の前髪を掻き上げ、両手で頬を包み込んで、少年の瞳を優しい目でじいっと見つめながら。
「母さんはね、夜が好き。夜はね、何にも怖くないよ。だって夜は、とっても優しいもの」
そう言って、母親は少年の髪を何度も撫でた。
何故優しいのかと少年が問えば、母親は優しい声でこう教えた。
「夜はね、たくさんのものを隠してしまうけど、たくさんの綺麗なものだけ、見せてくれる時間でもあるんだよ。夜空の月も星も、夜が暗くなくては輝けない。そして、その優しい光の下ではね、みんな優しい気持ちになれるのさ。だから、母さんはお前の瞳が大好き。優しい夜を溶かしたみたいに、優しい目をしたお前が大好きだよ」
そう言って笑った、あの笑顔を少年は忘れることができない。
母親が何度もそう話して聞かせてくれたから、少年は自分の瞳が好きになった。夜の始まりが大好きになった。
幼いながらに、自分も優しい人であろうと思った。周りが自分のことをどう言おうとも気にならなかった。
何より、母が大好きだった。
優しく聡明で快活な母は、少年の自慢だった。
幸せだった。決して裕福な暮らしではなかったけれど、少年の母は穏やかで優しい、心豊かな時間を少年に与えてくれた。
少年と母は、町から離れた小さな森の中の小さな家で、ひっそりと暮らしていた。
寂しくはなかった。
朝、日が出てくると鳥の鳴き声がし、二人で朝食を取って、母と一緒に森の薬草を摘みに行く。
昼を過ぎたら、少年は森の中を走り回って遊んだり、母に本を読み聞かせてもらったり、一緒に作ったお菓子でお茶をしたりして過ごした。
母は基本的な読み書きや計算も、毎日必ず少年に教えた。もともと本の読み聞かせが好きだった少年は、自分で文字を覚えるとたくさん本を読むようになり、同じ年頃の子供よりもたくさんのことを知っていた。勉強をすることは、少年にとって苦痛なことではなかった。
そんな穏やかな日常が、少年のすべてだった。
自分がいて、母がいて、それだけで少年は十分だった。
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