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「あれ、君のことだったの?」
「ねえ」
「……何」
「編集さん以外でそんなこと言ったの、オネーサンが初めてだ」
そう言うと、彼はケラケラと笑い出した。さっきまでとは打って変わった何とも明るい声が、暗闇の中でやたらと響く。
ひとしきり笑った後、小さくため息をつきながら彼が呟いた。
「何となく予想はしてたけど、俺、やっぱりオネーサンが怖い」
「……君を怖がらせるようなことは、何もしてないつもりですが」
「うん、何もしてない。でも、オネーサンといるとボロが出まくりなんだよね、俺」
「何よ、それ」
「気づいてないならいいよ、それで」
……彼が足を止めた。ふと視線を上げると、ラーメン屋の店先でよく見かけるお馴染みの赤い提灯が、暗闇の中で煌々と光っていた。
「着いた。ここだよ」
提灯に書かれた店名は、私には聞き覚えのないものだ。いわゆる名店といわれる類いの店にありがちな、店を取り巻くような大行列ができているわけでもない。こじんまりとした、どこにでもある「街のラーメン屋さん」といった雰囲気の店構えだ。
「有名なお店?」
「いいや。でも、味は保証する。大学生の時に初めて食って、すごい感動してさ。バイトさせてくれって頼み込んで働かせてもらってたぐらい、美味い」
「……よく分かんない例えだけど、とにかく美味しいラーメンだったんだってことは、よく伝わったわ」
年季の入ったものらしい色の抜けた暖簾を潜って、彼が店の扉を開けた。……ちらりと見えたカウンターの向こうで、恰幅のいいラーメン屋の店主が忙しそうに動き回っている。客が来た気配にふと顔を上げた店主は、その正体に気づくと嬉しそうに声を上げた。
「おお、ハル! やっと原稿上がったか、今回は長かったなぁ!」
「当たり。いつものご褒美、よろしく」
彼を本名で呼ぶ店主の言葉から、どうやらこの人は彼のことをよく知っているらしいと分かった。何より、慣れた様子で店内へと入っていく彼の背中が、この店が彼にとって落ち着ける場所なのだと語っている。
彼の後について暖簾を潜ると、挨拶をしようとした店主と目が合った。……挨拶をするのも忘れて、店主は目を丸くしながら、私と隣にいる彼を交互に見つめている。
「……ハルが女の子連れてくるなんて、何年ぶりだ、おい」
「……わざわざ言わなくていい」
私は笑いを堪えるのに必死だった。
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