薄闇の向こう

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文字通り友人に背中を押されて……というか、よろけそうになるほどの勢いで背中を叩かれたというのが正しいが……私は繁華街へと向かう地下鉄に揺られていた。 彼に指定されたのは、いつものバーではなかった。そこから少し歩いたところにある、地下鉄の最寄り駅の改札口前……柱にもたれて文庫本を読んでいる彼がいた。 改札口を出てきた私に気づいた彼は、一瞬不思議そうな顔をしながら、手にしていた文庫本を肩にかけたメッセンジャーバッグに放り込んだ。 思わず見間違えそうになった……シンプルなTシャツに黒のデニム、スニーカーに黒のキャップ。黒縁の伊達メガネは、この前水族館に行った時にかけていたものと同じだ。 「……その格好」 「ん? ……ああ、暑くなってきたから、さすがにライダースってのも変かと」 「いや、バイト帰りの大学生……」 「……自覚はしてるから、それ以上言わなくていい」 そういえば、この二週間あまりで、季節は一足飛びに夏らしい雰囲気に変わっていた。……ただ、私の記憶がそこで止まったままになっていただけで。 「オネーサン、腹減ってない?」 彼の言葉に、はっと意識が戻ってきた。じっと私を見下ろしていた彼に気づいて、その予想外の近さに思わずどぎまぎしてしまう。 「あ、うん。まだ夕飯食べてない」 「じゃ、食いに行こっか……俺もまだ食ってない。というか、昼飯も食い損ねたからマジで死にそう」 「ちゃんと食べなさいよ」 「……オネーサン改め、オカーサンでもいいかもな」 無言で彼の脇腹を一発小突くと、ケラケラと声を上げて彼が笑った……今日は何だか機嫌がよさそうだ。 「書き下ろしの原稿からようやく解放されたんでね。だから、ちょっと息抜き」 「……まだ他にもあるんでしょ?」 「それはまた別の話」 ニヤッと笑った彼の視線が、私の手の辺りでふと止まったことに私は気づいた。本屋のロゴが入った大きな紙袋を見て、彼は何だか訝しげな顔をしている。 「ここ来る前に、駅前の本屋さんに行ってたの」 「何買ったの?」 「気になる?」 「まあ、一応、商売柄ね」 私は無言で、手にした紙袋を彼の目の前に突き出した。袋の中をひょいと覗き込んだ彼は、そのまま固まった……私の顔と袋の中身を、何度も確かめるように交互に見つめている。 「……オネーサン」 「はい」 「それ、俺の本」 「そうだけど」
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