薄闇の向こう

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きっと今夜は、彼にとっては最悪の一夜だったのかもしれない……と私は思った。 コンテストに作品を出したものの、全く自信なさげな様子だった彼を励まそうと、ありとあらゆるトッピングを山盛りに乗せたラーメンを出した。それが、彼の言う『ご褒美』のきっかけだった。……ラーメン屋の店主は、そう懐かしそうに語った。 「それ以来、原稿上がった時は必ずここに来て『ご褒美』をねだるんだよ、ハルは」 嬉しそうに、そして懐かしそうに彼との思い出話にひとり花を咲かせ続ける店主。それを、肩を震わせながら聞く私と、その横で居心地悪そうな顔で黙ってラーメンを啜る彼。 「どうした、ハル。今日はえらく静かだな!」 「そりゃ静かにもなるだろ……」 「今さら彼女さんに知られて困るような話じゃないだろ?」 「……残念ながら、彼女じゃないんだな、これが」 カウンター越しに店主をジロッと睨みつけながら、彼はひたすらラーメンをかき込んでいる。そんな彼の様子を、店主は眩しいものを見るような顔でにこやかに眺めていた。 「いいもん見せてもらったから、お代はいいよ!」 「いいもんって何だよ……わけ分かんねえ……」 今夜のお代はいらないと言い張る店主に押し出されるようにして、私と彼はラーメン屋を後にした。来た道を戻っていく私たちの背中に、店主が楽しそうに声をかける。 「ハル! その角を左に曲がるんじゃないぞ!」 「曲がんねえよっ!!」 はあっと小さくため息をついた彼は、やたらと早足で歩いていく……店主が言っていた『その角』を、とにかく急いで通り過ぎたいらしい。小走りに彼の後ろを追いかけながら、私は彼に尋ねた。 「ここ左に行くと、何かあるの?」 「……」 「ねえ」 「……」 「……ハルさ」 「あーっ、もう! そっちはラブホ街への抜け道だっての!! ……それから、ハルは勘弁して! すごくまずいから!!」 「あ、はい」 一気に捲し立てると、それから彼はすっかり口を閉ざしてしまった。私を置いてずんずんと先に歩いていく……と思ったら、いきなり振り向いて私の方へと戻ってきた。 「ここ、結構物騒だから」 それだけ言うと、私の腕を掴んで再び歩き始めた。先を急ぎたいが、私を置いて行くわけにはいかない……という、彼なりの苦渋の選択だったようだ。暗闇の向こうから、彼が何かぶつぶつ言う声が聞こえてきた。
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