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地下鉄の出口までたどり着くと、彼はようやく私の腕を解放した。相変わらず口は一切聞かないし、明るい表通りに出てからは顔すら見せてくれない。
ずっと抱えたままだった本屋の紙袋を私に押し付けるようにして返した後、彼はメッセンジャーバッグの中に手を入れた。……その先の彼の行動は、私にも容易に想像できる。
「待った。今日はほんとにいらない……というか、ラーメン食べただけだし」
「……前にも言ったでしょ、これは」
「だったら!」
彼の言葉を遮るように語気を強めた私に、彼はよほど驚いたようだった。あれほど顔を見せないようにしていたのも忘れたかのように、目をぱちくりさせながら私の顔をじっと見ている。
「お金じゃなくて、欲しい物があるんだけど! それじゃ、ダメ!?」
……私たちの横を通り過ぎようとしていた人たちが、ぎょっとした顔で私を見ている。今の自分の置かれた状況をはたと思い出して、私は頭を抱えた。
ふと、頭上からくすくすという笑い声が聞こえた。私は、ちらりと視線を上げて彼の様子を伺った。……口元を手で覆い隠してはいたけれど、どうにも堪えきれなくなった彼の笑い声が、その隙間から漏れてくる。
「オ、オネーサン……ぶっ、意外と……思い切りがいいんだ……くくっ……」
「……ウケたみたいでよかったです」
「いや、悪かった。笑いすぎた、ごめん。……で、一体何が欲しいの?」
ぶすっとむくれた私を宥めるように……でも、笑いすぎて目尻に浮かんだ涙を指で拭いながら……彼は私に尋ねた。
「……君の連載が載ってる雑誌」
「は?」
「今月号もバックナンバーも全滅だったの。作者の君なら、手に入れられるんじゃないかと思って」
「……完結したら、単行本出るよ? まあ、一年ぐらい先だけど」
「……私は、今読みたいんですが」
彼は被っていたキャップのつばを深く下げると、深くため息をついた。……よっぽど私に読まれるのが嫌だと見える。『中村晴信』を知っている人に自分の作品を読まれるのは嫌だと、確かにそう言ってはいたけれど。
「……私は、昔の君のことは何も知らないよ?」
「そうなんだけどさぁ……」
「何がそんなに嫌なの、君は」
すっかり黙りこくってしまった彼に、私は追い討ちをかけた。
「……ハルさん」
「……」
「ハルさん?」
「……」
「ハル……」
「あーっ、もう分かったから!」
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