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━━中村の作品は、トリックと構成は一級品。だが、登場人物は何だか嘘くさい。
数ヶ月前に発表した彼の作品を、そう評されたのだという。
頭の中でどれだけ人物を動かしてみても、その心理描写が思うようにできない。殊に恋愛感情となると、途端に筆が進まなくなる。デビュー以来、破竹の勢いで高い評価を得てきた彼が、初めてぶち当たった壁だった。
「女の子と付き合ってみたら、多少は理解できるんじゃないの?」
「だって、面倒くさい」
「……本気で現状打破するつもりないでしょ、君」
ケラケラと心底楽しそうに笑いながら、彼は話の続きを催促した。私はいつも釈然としないまま、それでも何となくそんな彼を憎めずに……促されるまま、ただひたすら話し続けるのだ。
私の話が尽きると、この不思議な時間は終わりを迎える。
今日の話の代金だと、いつものように彼が封筒を差し出してきた。いくら約束だとはいえ、特に珍しくもない話の対価としては、あまりに額が多すぎる。
彼は、愛用のライダースジャケットのポケットからスマホを取り出すと、さっさとタクシーを手配し始めた。
「今日は、まだ終電がある時間なんだけど……」
「あー、でももうタクシー呼んじゃったし」
スマホと入れ替えに今度は財布を取り出すと、札を数枚抜き取って私の手に押し付けた。……どう見ても、これでは支払う金額よりも手元に残る分の方が多い。
「余っちゃうよ、これ」
「よかったじゃない。取っとけば?」
二人分の分の会計を済ませた彼は、有無を言わさず私をタクシーに押し込めた。運転手に行き先を告げると、自分は一緒に乗り込むこともなく……走り出したタクシーにひらひらと手を振ると、彼はそのまま人混みの中へ消えてしまった。
タクシーのバックミラー越しに彼の背中を見送ると、私は小さくため息をついた。握りしめたままの封筒をしまおうと、私はバッグの中に手を入れる。……カサッと小さく乾いた音が聞こえた。返そうと思ってバッグに忍ばせていたはずの封筒は、日に日にその数だけを増していた。
……傍から見たら、それはちょっと異様な関係だった。
彼が悩んでいるというのは、決して嘘ではないだろう。だが、この不思議な関係が彼に何かの答えをもたらすものだとは、私には到底思えない。
それでも、何故か私は彼に「もう会わない」とは言い出せなかった。
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