話を買う男

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「オネーサン、たまには明るい世界で話聞かせてくれる気はない?」 「……まるで私が暗闇の住人みたいな言い方しないでくれる?」 それは、突然の申し出だった。 これまで話の『買い取り』の約束は、決まって夜に取り付けられていた。私の仕事が終わる頃を見計らったかのように、彼からお誘いのメッセージが届く。 「オネーサンはお酒入った方が、いい話しっぷりになるからねぇ」 「……やめて、あれは黒歴史だから」 くすくすと笑う彼の隣で、私は初めて彼に話を『売った』時のことを思い出して、頭を抱えた。……正直、あの夜のことはあまりよく覚えていない。ただ、よっぽど私が豪快に喋り倒したんだろうというのは、後日聞かされた彼の話から何となく察した。おかげで、今でもこうして事あるごとに、彼に弄られる格好の材料となっているのだ。 ふと、気がついた。 以前は、最初から最後までひたすら私が話すだけだった。それなのに、最近は何故か彼の方からも、ごく普通に話を振ってくる。私が話している時でも、彼が途中で口を挟むことが多くなっていた。 「……言われてみれば、そうかもねぇ」 「君、全く自覚ないの?」 「ない。俺、自分にも他人にもあんまり興味ないから」 そう言って小さく微笑むと、彼はカクテルグラスに口をつけた……これも、以前は全く見られなかったことだ。メモが書けなくなるからと言って、彼は話の『買い取り』の最中には全く酒を飲まなかった。だから私は、ひょっとして彼はお酒があまり強くないんじゃないかと踏んでいたのだが。 「……ザルだね、君」 「編集さんには空枠だって言われてるよ、俺」 「猫被ってただけかい……」 もう軽く私の三倍ぐらい飲んでいるはずなのに、彼は何事もないようにあっけらかんと笑っていた。……見た目には全く酔っている気配はないし、さっきからノートの上を忙しなく動いている手も、以前と何ひとつ変わったところはない。「酔うとメモが書けなくなるから」と言っていたのは一体何だったんだと、私はますます彼のことが分からなくなった。 「……で、返事は?」 「はい?」 「さっきの話。たまには、明るい世界で話聞かせてもらえない?」 別に断る理由もない……とりあえず今週の土曜日に、私は彼と初めて昼間に会う約束をした。妙に上機嫌な様子で再びグラスを空ける彼を見ながら、私はますます混乱していた。
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