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「俺は井坂郁也と言う」
そう言って井坂さんはスーツの胸ポケットから取り出した名刺を差し出してくる。
戸惑いながらも丁寧に受け取って名刺に視線を落とせば、そこに書いてある内容に驚いた。
「井坂グループメルべ取締役……」
日本人なら知らない人間はいない、日本有数のグループ企業だ。
日本の経済は井坂グループに支えられていると噂されるほどの巨額の富を生み出していると聞く。
加えて取締役という地位に、あまりの驚きに名刺を落としそうになる。
「……お、俺で本当にいいんですか?」
「君だからいいんだ」
どうして社会的地位の高い人がそこまで強く俺のような一般庶民を求めてくれるのか本当に分からない。
緊張しているせいか、鼓動が早い。
気のせいか身体も熱くなっていて、だけどそれがただ緊張のせいではないことも分かっていた。
「俺、佐々木密って言います。お願いします……」
まだ躊躇いはあったが、深々と頭を下げた。
こんなにも誰かに求めてもらえるなんて、いつぶりだろうか。
唯一の肉親にさえ求めてもらえない俺にはきっともうこない。貴重な機会を捨てたくないと思った。
「ありがとう佐々木くん。受け入れてもらえて嬉しい」
「……!」
井坂さんに抱きしめられた。
爽やかな香りと厚みのあるしっかりとした感触に、涙が出そうになった。
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