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    「土下座教師誕生」        序章・土下座とは何か                土下座は既に弥生時代から存在していた。  邪馬台国で有名な魏志倭人伝にも登場する。すなわち、下戸が大人に道で会えば、身を低くして土下座をしていたのだ。  この「下戸」と呼ばれる人々は、恐らく「大人」に会えば反射的に土下座をしていたのであろう。  洋介にとって、土下座は全ての問題を解決してくれる最終兵器であり、また「芸術」であった。  洋介の職業は高校の教師。  だから、そう易々と土下座なんかしてはいけない。教師たるもの、常に居丈高で尊大で自我が異様に肥大化していなくては務まらないものだ。  従って、洋介は完全な「駄目教師」であった。  教師には転勤がつきものだが、洋介は行く学校、行く学校で土下座を繰り返してきた。  彼の人生が土下座とともにあると言っても過言ではなかろう。  この「駄目教師」の土下座は企業のクレーム処理係なんかの土下座とはわけが違う。  ある時は上司に、またある時は同僚に、親に、そして生徒にまで土下座をしてきたのだ。  すなわち、この話は「ドゲセン」の土下座物語である。  面白いかつまらないかは読者の皆様に判断をお任せする。                          1章・保護者様に土下座    土下座は相手の意表を突くように、瞬時にして行われなければならない。これが土下座の極意である。  従って、強制的にさせられた土下座や、交通事故の加害者が被害者の家へ菓子折を持って行って行う土下座などは真の土下座とは言えない。  相手に有無を言わせぬようにするのが土下座の目的であり、また、土下座の土下座たる所以である。  だから、洋介が行ってきた土下座は半分が成功で半分は失敗であったと言えよう。  従って、この土下座物語では成功例も失敗例も余すことなく書こうと思っている。  先ずは洋介が「ドゲセン」になった最初の例からだが、この最初の例は、成功とは言い難い。まあ、よしんば成功と評価するならば、先方が洋介を何の罪科にも問わなかったことであろうか?   雲
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