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もしもまかり間違って相手の目なんか見てしまうと、こちらに誠意がないものと解釈されてしまうのだ。
平身低頭するというのは、相手に「どうぞ頭ごなしにお叱り下さい」という意志表示なのである。
しかし、この見事な、かつ芸術的な土下座に肝を潰されたのか、意外な返答が返ってきた。
「まあまあ、先生、こちらも悪いのですから、どうぞ頭をお上げ下さい。」
何と良心的な親であろうか!しかし安心するのはまだ早い。この後でどんな悪口雑言を言われるかわからない。
そこで、ここがもう一つの決め時である。
洋介は平身低頭したまま持ってきた菓子折りを差し出した。
「誠に些少ではありますが、これはお詫びのしるしであります。中に治療費も入ってます。」
そう。菓子折りの中には5万円の封筒が包まれているのだ。
そこへ運悪く(実際はこれがチャンスなのだ。土下座は人に見られてこそインパクトがある。)彼の妹が帰ってきた。
「お母さん、この人誰?」
「いや、和樹の学校の先生らしいんやけど。困ったわねえ。こんなとこで頭下げられて。お兄ちゃんが合気道部で鎖骨折ったらしいんよ。そないしたら合気道部の先生が謝りに来てくれて。まあ、先生上がっていかはりませんか?」
「いや、そんな滅相もない。私はこれで退散致します。どうぞ和樹君には寛大なご処置を。」
そう言いながら後ずさりする洋介。
そう。土下座はしてから後が大事なのだ。決して振り向いたりしてはいけない。振り向いていいのは「お客さん」だけなのである。 「(後ずさり。後ずさり。)」
そう言いながら、瞬く間に洋介は車に乗り込んだ。
「はあ、終わったか。」
洋介は深く深呼吸をした。
夏の日差しはもう傾きかけていた。夕暮だ。
洋介は家路を急いだ。独身者用の教職員住宅である。
2章・駐車違反ではい土下座
実は、本格的な土下座物語はこれからである。
実はこの生徒が入院した医院の医師に対して土下座をせざるを得ないような事態が発生したのだ。
それは洋介が教員になって二年目のことであった。
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