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彩綾は焦点の合わない目を必死に向けた。
輪郭も背景もぼやける。けれど、確かに、
「りょ……う、くん?」
涼が驚いたように目を見開いた。慌てて彩綾に傘を差しかけ、
「俺を知って……いや、今はそんなことを言っている場合ではない。君はうちの学校の生徒だな?何があった?」
涼が彩綾の顔を覗き込むようにして尋ねる。
なのに、残念だ。せっかく涼の声をこれほど近くで聞けるのに、何を言っているのか理解できない。目が、霞む。
涼の顔がどんどん青ざめていく。何かを必死に訴えているようだが、彩綾にはわからない。
(ごめんなさい。本当にごめんなさい)
もう喉も言うことをきかないので、心の中で謝り続ける。精一杯の気力を振り絞って、笑ってみせた。
だが、涼の顔は一層険しくなる。何かマズイことをしてしまっただろうか。
「……待っててくれ、すぐに戻る」
言うと、涼は雨の中に飛びこんだ。
青から黄へ、そして赤に変わった光の目の前に。
水飛沫が上がり、空から降ってくる銀の針と混じりあい、混乱する世界をいくつかの悲鳴が貫く。スラリとした涼の身体を押し潰そうと、車が突進してくる。ライトに目が眩んだ。
(ダメ)
ダメ。この人はダメ。
(死ぬなら、わたしじゃなきゃ)
地面を叩き揺らす雨の音。車の轟音。甲高い金属音。再び上がる誰かの悲鳴。
涼の顔が歪む。何かを叫びながら、彩綾に向かって手を伸ばす。
時間にしてみれば、きっとほんの一瞬だった。
彩綾が間に合ったのは神様のおかげだろうか。それとも、死神に愛されすぎたせいか。
どちらでもいい。
「涼君、わたしね……」
蚊の鳴くような囁きがかき消える。
最後まで告げることなく、彩綾の身体は光のない宙を舞った。
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