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ぽっかりと意識が戻った。僕は、狭苦しい二畳弱ほどのスペースに、丸まって横になっていた。
「いててて……」
身長百八十の僕は、あちこちを寝違えたような痛みに呻きながら上半身を起こす。
痺れた足をさすっていると、部屋の外から声がかかった。幼児みたいな、性別不明の幼い声。
「二十二番! 出ろ!」
「へっ?」
気配なんて全く感じなかったから、僕はビックリして振り返った。壁の向かいは鉄格子で、僕はどうやら、狭い狭い『檻』の中に居るらしかった。
檻の向こうに居るのは、器量の良い三毛猫。口に鍵束をくわえている。と思ったら、スッと立ち上がってしっかり鍵を握って扉を開けた。
「えっ!?」
僕はまたビックリ仰天して、腰を上げかけた。
「いてっ!」
したたかに頭を打つ。天井は、僕の身長より三十センチほど低かった。
「気を付けろ。ぶつからにゃいように、自衛するんだにゃ」
「はあ……」
確かに、三毛猫の口が動いて喋っている。人間、信じられないような出来事に遭遇すると感覚が麻痺するものだ。
ああ、夢、なんだな。僕はそう結論付けた。
「出ろ。裁判の時間だ」
「は、はい……」
僕はこれも狭い出口から、身体を捻って苦労して出ながら言った。
「あのっ、裁判って……何の?」
「しらばっくれるにゃ。ミンストッピアさんの、仔猫の誘拐だ」
「あっ……」
やっぱり低い天井を気にしながら、着いてこいと鍵束をくわえて顎をしゃくる三毛猫に続きながら思い出す。
そう言えば、側溝に落ちてた仔猫を助け上げて、取り敢えず綺麗にしようとアパートに連れて行ったっけ。ははぁ~ん、そんな罪悪感から、僕はこんな夢を見てるんだな。
「あの、それ、誘拐じゃないです。一時的に保護しただけです」
「言い分は法廷で話せ」
鍵束を置いて、三毛猫は観音開きの扉を開けた。ざわざわと傍聴猫? たちが集まっているのが見えた。
「裁判を受けた事は?」
「な、ないです、そんなの」
「真ん中の証言台に行きにゃさい」
「被告人二十二番、中へ!」
狭い入り口からは明るい光が差して、威厳のある声が僕を誘っている。仕方なく、僕は膝下辺りの小さな証言台の前に立った。
正面のやや高い位置に、黒猫が座っている。三百度ほどぐるっと囲む傍聴席はすり鉢状になっていて、ようやく真っ直ぐ立つ事が出来た。
黒猫の斜め下に、最寄り駅に向かう途中の駐車場に住み着いている、キジトラ猫が座っていた。
「あっ、トラ」
僕は勝手にそう呼んでいた。でもトラは、猫目をグリグリさせて僕を見ているだけだった。たまにコンビニで買った猫缶とかあげたら、猫撫で声で近付いてくるのに。
「被告人は、名前と職業を答えにゃさい」
黒猫が言った。
「え。ええと……成田慎吾。会社員です」
「ミンストッピアさんの仔猫を、誘拐したにゃ?」
「いいえ。一時保護しただけです」
「保健所に電話する気でしょう!」
トラがキイキイと叫んだ。
「あ……トラの仔猫だった?」
「失礼にゃ! 私の名前はミンストッピアです!」
「ごめん。そんな立派な名前があるなんて、知らなかったよ」
「被告人! 審議と関係のにゃい口は慎みにゃさい」
「あ、はい。すみません。仔猫は、ええと……ミンストッピアさん? にお返しします」
「嘘を吐いたら、新鮮にゃミカンの皮で百叩きの刑だぞ」
黒猫が凄むけど、何その可愛い刑。猫がミカンの皮が苦手だっていうのは知っていたから、思わず頬が緩む。
「嘘は申しません」
僕はスッカリ被告人の気分になって、海外ドラマで観た光景のように、右手を上げた。
「誓います」
「何に?」
「えっ」
まさか、そんな問いが返ってくるとは思わなかった。
「えー……神様に?」
傍聴猫席が、一気に騒がしくなった。
「猫に神は居にゃい! 無礼者!」
僕は慌てて考える。ええと、ええと……アレに代わってお仕置きしてくれる、アニメがあったっけ。
「つ、月に?」
「今夜は新月だ! にゃいものに誓うとは! 口が過ぎると、法廷侮辱罪で罪が重くにゃるぞ!」
傍聴猫席から、野次が飛んでくる。恐る恐る振り返って……沢山の猫たちを注意深く観察する。
みんな怒ってる中で何匹か、場違いに上機嫌な猫が居た。酔っ払ってるみたいな……ああ!
「何に誓う!?」
それを見極めて、僕は慌てて黒猫を見た。今度間違ったら、ミカンの皮の刑だ。
まあ実害はないけど、ミンストッピアさんに嫌われるのは嫌だった。
「あの……」
僕のか細い声に耳を澄ますよう、場内が静まり返る。ごくりと生唾を飲み込んでから、囁いた。
「……マタタビに?」
黒猫は、ジッと僕を見上げていた。
凄い。玉虫色の目。置かれた立場も忘れて、綺麗だなんて思ってしまう。
それが一度、ゆっくりと瞬いた。
「いいだろう。仔猫を、二時間以内にミンストッピアさんに返す事。それをもって、罪は不問に処す」
木槌が、カンカン、と良い音を立てた。
* * *
「ハッ」
僕は再び、目を覚ました。今度は見慣れた自分のアパートだった。
――ミィ。
そして、普段なら聞き慣れない仔猫の鳴き声に、我に返る。そう、二時間以内に返さないと。
仔猫はもう洗い終わって、石鹸の良い香りがふわっとしていた。
スウェットの上下にコートを羽織って、仔猫を片手に抱き、片手に猫缶を持って駐車場に向かう。
果たしてそこには、トラ――ミンストッピアさんが待っていた。
「こ……今晩は、ミンストッピアさん」
少し緊張しながら、しゃがんで仔猫を差し出す。仔猫は一目散に、ミンストッピアさんの元へ走り、お乳にしゃぶりついた。
「あ……これ、仔猫にと思って買ったんだけど、まだミルクしか飲めないのかな」
猫缶をパッカンしてアスファルトにあけると、ミンストッピアさんはしずしずと口をつけた。
「ごめんね。仔猫、連れて帰っちゃって。猫缶で許して。……じゃ、またね」
「うみゃい」
「えっ」
確かに「美味い」と言ったように聞こえたけれど、ミンストッピアさんはもう僕には見向きもせずに、猫缶にまっしぐらなのだった。
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