開花の忘れもの

17/40
64人が本棚に入れています
本棚に追加
/40ページ
 嘉納治五郎が助勢しなければと決意したとき、男の動きに変化を認めた。体の芯がわずかにぶれているのだ。正確無比だった突きの拳が流れている。軸足が微かに震えている。  男が初めて間合いを外した。と、佳代がスーッと前へ進んだ。  一瞬慌てた男は鬼の形相で「グリヤャー」と正拳二段突きから右前蹴りを繰り出したが、佳代はふわりと左へ避けた。 「エイッ!」  初めて佳代が気合を発した。  右手が顎を捉えるのと同時に左足のつま先が男の右踵に掛かっている。男が大きく仰け反って宙に浮いた。背中から落ちる男はそれでも肘打ちを当てようと体をひねる。佳代はその腕を固めて地面に落とした。そのままクルリ、クルリと二回転して男を組み伏した。下になった男は必死に振り解こうとする。だが、もがけばもがくほど首が絞まる。食いしばる口からひと筋の涎が垂れた。小さく呻きがもれると、全身からスーッと力が抜けた。落ちた瞬間だった。 「小柄な佳代さんがビクともしませんでした。相手の両腕、両脚の関節を固めながら首を絞めていました。私が初めて見た技です」  ここで嘉納治五郎は冷めた茶を口にして喉を潤した。千尋は慌てて熱い茶を注いだ。 「佐竹流柔術には唐手のような一撃必殺の技はありません。しかし同じ経穴(ツボ)を何度も突いていると、徐々に効果が現れるのです。佳代さんは敵の攻撃を躱しながら右腕の腕馴(わんじゅん)と左脚の伏兎(ふくと)という経穴を突き続けて、相手が怯んだ時反撃に転じたのです。まさに神業です」  信じないわけにはいかない。母は柔術の達人、命を掛けて私を守ってくれたんだと。 「首謀者の名は梶川富之助。元武士で幕末の動乱のさなか藩を出奔し、明治になると政府高官の梶川家の婿養子におさまっていました。武士だった頃の名は寺田富之助といいます。事件発覚後、直ぐ離縁となり、囚人として北海道へ連行されて、二年後に亡くなったと聞きおよんでおります。やっと佳代さんに穏やかな日常が戻ったのです。いや、初めて普通の暮しが出来るようになったと言った方が良いのかも知れません」  母は絶えず命を狙われている緊張の中で暮らしていたのだ。その中で私を産んで育ててくれた。それがどんなに困難なことだったか。今なら十分理解出来る。 「しばらくして佳代さんは行商を辞めました。それからの事は私が話すまでもないでしょう。そして、みらい堂をここまで大きくしました」
/40ページ

最初のコメントを投稿しよう!