本編

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 宝暦十年、皐月の朔。  それは、父の月命日の墓参の帰りだった。  城下から離れた、穂波(ほなみ)郡。路傍に露草が青い花を咲かせた野辺を、夜須(やす)藩祭祀奉行与力・野村重太郎(のむら じゅうたろう)は、妻の喜佐(きさ)を連れて歩いていた。  梅雨の中休みというべき晴れ間だが、朝から蒸すような陽気が続き、重太郎の襦袢はびっしょりと汗で濡れていた。 (しかし、暑いな……)  重太郎の生まれは、江戸である。祖父の代からの、江戸詰めの藩士だっのだ。その前は、九州のさる外様藩に仕えていたという。重太郎が父に従い、国元に移ったのが十二の時。夜須に来て、まずその暑さに閉口したのをよく覚えている。  嫌な季節が来たものだ。と、毎夏の度にそう思っては、憂鬱になる。  一方、少し後ろを歩む喜佐は、相変わらずの涼しい顔だった。元より、喜佐が感情を表に出す事は少ないのだが。  喜佐は遠縁の娘で、二十五の自分より二歳年上。しかも、父の角野高円(かどの こうえん)に遠野流を学んだ手裏剣の名手でもある。その手並みは、飛んでいる蛾を射抜けるほどだ。  異変に最初に気付いたのは、その喜佐だった。 「お前さま、あれを」     
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