夏至

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僕は、海に向かって車を走らせた。街の明かりが対岸に煌めく様を横目に、ギアを落としてスピードを調節する。信号も一時停止の標識も無い為、深夜になると若者達が集まって来る所だ。今日はまだ少し時間が早いお陰か、車も人も殆ど見かけない。この海に面した外周コースを、出来るだけブレーキを使わずに、出来るだけ速度を変えずに走り切るのが僕の好きな一人遊びだ。半島の様に突き出た部分を、標識の指示通りに走ると丁度20分の行程になる。けれども僕は必ず、コースの残り1/3位の距離にある小さな空き地のある場所で車を停める。 そこで岸壁ギリギリまで車を近づけ、窓を開けてシートを倒す。運転席側の窓から少しだけ見える空を見ながら、それに続く車の屋根の奥の星空を想像する。姿の見えない海の波の音が押し寄せて来る。その内に、自分の見ているものが車の天井なのか、星空なのか、海の波なのか分からなくなって来るのだ。その不思議な感覚の中で、気が付けば大抵小一時間程は時間が過ぎている。 そうやってひとり、車の中にいる時だけが、本当にヒデトと言う人間でいられる気がする事がある。時に僕はセタと言う名字で呼ばれることもある。しかし、それは僕のものでは無い、と言う思いが時に浮かぶ。決して嫌では無い。今自分は幸せだと言って差支えない筈なのに、やはり消えない感情があるのだ。そんな時もこの鉄の塊は僕を包み、僕と外の世界を隔ててくれる。そうして此処で僕はただのヒデトになる。そんな気持ちにさせてくれるのだ。
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