おやすみのキスを

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「おやすみなさい」 額にキスをすると、男の子は安心した顔で目を閉じた。 金色の髪をした美しい修道女は、儚げな表情を浮かべて彼の頬をなでる。 人は毎日眠らなければ生活できない。 成長や傷の治癒、肌の新陳代謝は睡眠時に促進する。 人は眠りに、休養と安息を求めた。 「こんな場所でごめんなさいね」 彼女は呟いた。 もうずいぶんと眠れていなかったのだろう、彼の目の下は落ち窪み、こけた頬には大きな疲労が見て取れた。 修道女はそっと彼を床に横たえた。 彼女は罪人ではない。 罪人ではないが、待遇はそれと変わらなかった。 こんな場所で、という言葉の通り、彼女の周りにあるのは粗末な木の机と椅子くらいのもので、眠るためのベッドや枕は用意されていない。 そのくせ外側の造りは頑丈で、正面に構える鉄製の扉が、部屋の空気を一層重たくさせていた。 唯一の小窓から差し込む月明りが、彼女の髪の毛をわずかに梳いた。 「終わったか!」 バン、と無遠慮に扉が開き、でっぷりと太った軍人が入ってきた。 肥えた掌を返すと、後ろで控えていた供二人が、横たわる男の子を無言で抱え上げた。 「これが18番、今日は後二人いる」 「はい」 「すぐ次を連れてくるからな。準備しておけ」 「はい」 最低限の言葉の後、重たい扉は苦しむ虫のような声を上げ、閉じた。 部屋には、「次」を待つだけの静寂が戻った。 ―― 「こんな面倒な事しなくてもな」 「苦しめると拷問だとか何とか、世間がうるさいんだよ。捕虜でも色々言われるんだと」 供の二人は気だるげに呟いた。 カツカツと前を歩く太った軍人が鼻を鳴らす。 「フン、修道服を着て敬虔ぶっておるが、悪魔のような悍ましい力だ。事が済んだらあの女にも、永遠の休息を与えてやらねばな」 一同は別の鉄扉に閉ざされた一室を開いた。 中には、怯えきってボロにくるまった男が一人。 「出ろ19番」 軍人の太った腕が、うずくまる男の頭を掴んだ。 不安で疲れ果てた顔には、深いくまがあった。 「よかったな、美女のキスで眠れるぞ」 彼ら敗戦国の捕虜には、この世が続く限り安息はなかった。 ならばせめて苦しまないように。 優しい修道女は、キスで人を殺すことができた。
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