四、償い

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 玉砕した島から戻ったということは、篤さんは捕虜になったということだ。だが、ここに戻るまでの経緯を誰も訊かなかった。復員した人の中には、自分だけ死ななかった罪悪感から自死を選んだ者もいるからだ。  それなのに、篤さんはあっさりこう告げてくる。 「私は英語が話せるんで、米軍になかなか手放してもらえへんかったんや。戻るのが遅うなって心配かけました」  篤さんは全然変わってない。相変わらず、あっけらかんとして明るい。苛烈な体験をしてきたはずなのに、おくびにも出さない。  義父は申し訳なさそうにつぶやいた。 「死亡通知が来たもんやから……お墓があるんや」  篤さんが真顔になる。 「それだけ辛い思いをさせてしもうたいうことですやろ。えらいすみまへんどした」 「謝らんといて。篤が帰ってきてくれて、うれしゅうて仕方ないんやから」  義母がハンカチで目頭を押さえている。  四人は、幼少期から戦後のことまで話が尽きない。でも誰も、私が今、誰の妻であるかについては触れなかった。  私は篤さんの表情を盗み見る。この笑顔がまた見られるなんて夢のようだ。だが、なるべくその気持ちが出ないように無表情を装った。私は今、ほかの男の妻なのだ。  八時になり、私だけ自室に引っ込んだ。親子水入らずで話したいこともあるだろう。  ひとりになると力が抜け、その場にへたり込む。私はこれからどうなるのか。篤さんの前で葵さんの妻として振る舞うのだろうか。  ――それだけはいやや。  私は、私のために生きて帰ると約束してくれた篤さんを裏切った。そんな姿をさらしたくない。  私は洋裁箱の上に紙片を置き、筆を執った。 『一色家の皆様  一年間、とても良くして下さり、ありがとうございました。  何もご恩に報えないままで大変心苦しいのですが、  これ以上、ご厚意に甘えるわけには参りません。  ご挨拶もせず、お(いとま)する非礼をお許し下さい。倫子拝』  封筒がなかったので、その紙を折りたたんで座布団の下に置いた。押し入れには篤さんにもらった靴がある。平和になったら履くはずだったが、遺品になったためいよいよ履けなくなっていた。彼が生きて帰ってきた今、やっと履ける。  皆が寝静まったのは朝四時ごろで、私はそうっと窓から外に出た。その靴は今まで履いたどんな靴よりも足にぴったりとして歩きやすかった。
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