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私が十二のとき、中国との戦争が始まる。男の子たちはいつも戦争ごっこをしていた。彼らの頭の中では自分たちは勇敢な戦士なのだ。それを見て、大人だけでなく女の子たちも大いに盛り上がっていた。
だが、私は冷めた目で見ていた。村が戦場になるわけでもないのに、ばかばかしい。
そんなある日の下校中、土手に座って本を読んでいる青年を見かけた。うちの村で本を読むのは学校の先生ぐらいだ。私は草生い茂る土手を滑るように下りて、背後からその本を覗き込んだ。詩集だった。
「誰や?」
彼が振り向く。女のように美しい男というのを初めて見た。しかも、きれいな白シャツを着ている。白シャツは汚れが目立つというのに、真っ白だった。
「あそこに住んどる、木下倫子いいます」
私が山のほうを指差しているのに「みちこ……?」と、なぜか彼は私の名に反応した。
「詩に興味あるのんか?」
「へえ、まあ」と、曖昧に答える。実のところ、学校の教科書で読んだことがあるぐらいだ。
「やるわ」
と、彼が詩集を閉じて差し出してきた。表紙に『山羊の歌 中原中也』とある。
「知らん人にもらうわけには……。お名前、教えてくれはらしまへんやろか?」
「僕は一色葵いうんや」
一色といえば、大地主の姓だ。やっと合点がいった。日に焼けていないはずだ。一色家のふたり息子は京都市内の別宅に住んでいて、そこから学校に通っていると聞いたことがある。
そして私は自惚れた美少女だった。
「うちのこと、嫁にもろうてくれはらへんどすか」
葵さんが切れ長の瞳をわずかに見開いたあとハハッと軽く笑った。口を大きく開けない上品な笑みで、私は彼の顔から目が離せなくなる。
「えらい急やな? なんで僕なんや?」
自分でもよくわからなかった。彼が金持ちの子だからだろうか。それとも、戦争ごっこをしなさそうだからか。それとも――。
「詩とか読む人、この村にはおらへんから」
自分の口から零れ落ちた言葉に、自分で驚く。
「ほうか……」
葵さんが片手でズボンを叩って立ち上がると、本を私の手に押しつけてきた。上背のある彼が伏せ目になり、睫毛の長さが際立つ。私が本を手に取ると、薄い唇の端が上がる。
「『みちこ』ちゃんは、おませやな。読んでみよし」
なぜか『みちこ』という名で遊ばれている感じがした。あとになってわかったのだが、その直感は正しかった。もらった詩集には『みちこ』という詩が収録されていたのだ。
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