二、倫子の結婚

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二、倫子の結婚

 翌年、昭和十六年十二月、今度は米英との戦争が始まる。  女子は髪を垂らすこともよしとされず、私は三つ編みを頭に巻きつけてピンで留め、紺色の絣で作ったもんぺを身にまとう。その下に着たブラウスは花柄だ。ほかの()も、見えないところでおしゃれをしている。  数年前までは、少しでもかわいいものを着ようと洋装を楽しんでいたのだから、そう簡単におしゃれを諦められない。  地味なもんぺの下に艶やかな布地があるように、画一的な髪型の私の心中にはいつも情熱が燻っていた。葵さんとのくちづけを何度も何度も夢想する。そのくらいしか楽しみがなかった。  昭和十八年十月、東京で学徒出陣壮行会が行われる。新聞には『もとより、生還を期せず』などという恐ろしい言葉が躍っていた。  帝大生まで戦場に駆り出されるなんてと、私は葵さんの行く末を案じたが、のちになって、理科系は免除されたと聞く。それで、『工学を勉強する』のは、生き延びるための手段だったのではないかと思い至る。だとしたら、葵さんは本当に賢い。  生き延びるための賢さは、今の日本では嫌悪されるだけだが――。  戦況の悪化を受け、こんな田舎でも防空壕を作ることが義務づけられた。父がその仕事に駆り出され、長女である私と母が畑仕事をすることになる。その上に国防婦人会の軍事訓練まであった。  私の顔は日に日に焼け、手は荒れていった。  だが幸いにも、都会のように食うや食わずにはならなかった。農村の食卓はいつだって都会より貧しかったが、戦争になり逆転する。それを『農村が都会に勝った』などといって溜飲を下げる村民もいたが、全く馬鹿馬鹿しい。私たちが上がったのではなくて、都会の水準が下がっただけではないか。
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