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事務所に着くと早速、尾行の準備を始めた。一般的なデジタルカメラやビデオはもちろん、いざという時のための隠しカメラや音声レコーダー、身の安全を守るための道具まで一通り揃えた。
今回の案件は五十代男性の尾行――その十歳年下の妻から浮気調査を依頼されている。依頼内容は関係修復ではなく離婚を前提とした調査で、離婚裁判を有利にするための証拠収集、裁判資料を揃えるのが主な仕事だった。
裁判は調停とは違い、明確な証拠の提出が求められる。不貞行為の証拠が不十分と判断されると、離婚請求を棄却され、離婚が認められないケースもある。依頼者が離婚裁判を求めている場合は、映像での複数回に及ぶ不貞行為の証拠が必要だった。男性の出張中の不貞行為は暴けずに一度しくじっている。今回はなんとしても浮気の証拠をつかみたかった。
朝から尾行し、お昼前に動きがあった。
「あはは。こんな時間からラブホテルかよ。そりゃ、見逃すはずだ」
「あの人、営業マンだよね。だから時間の都合はつくのかも。いつもこの時間に浮気してるのかな……」
「かもな……おっと、相手の女だ。カメラ回せ」
「うん」
車の中から二人の姿を追う。まさか撮影されているとは思ってもないのだろう。二人は笑顔でいやらしく指を絡ませている。相手は多分、主婦だろう。三十代前半くらいの小柄な女性だった。依頼者の女性と何も変わらない気がした。どうして浮気なんかするのだろう。こうやって尾行するたびに虚しさが募る。
「撮れたか?」
「うん。バッチリだよ。顔も撮れてる」
捧はほっと胸を撫で下ろした。これで重要な証拠を一つつかんだことになる。後は出るまで待つだけだった。
「どんくらいで出てくるかな」
「どうだろ……」
この後の待ち時間は長い。お互いその長さを何度も経験していた。けれど、これも立派な仕事だ。コンビニの袋から菓子パンを出しながら一口齧り、出口周辺に目を凝らした。
僕と捧が出会ったのは五年前。捧がこの仕事に就いて、事務所を立ち上げたばかりの頃だった――。
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