宵の風

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宵の風

-1- ぬるい風が校舎を駆け抜ける。 この間まで屋内を冷やしていた風は、汗ばむような暖かさに変わっていた。 今日は地域の祭りがあって、高校生も放課後近くになるとそわそわしていた。 曳山祭りの宵山の日で、曳山がライトアップされ、屋台もたくさん並ぶ。 まだ浴衣には早いけれど、薄物を着て行きたいという気持ちがあった。 非常勤講師なので、特に見回りにいく必要はない。もっぱらプライベート。ただし問題は、生徒に見つかったら明らかに騒がれる。一人であっても、誰かと行ったとしてもだ。 「先生」 廊下を歩いていると、女子生徒から声がかかる。振り返ると、よく知っている生徒だ。 「安積さん。どうしたの」 「この間お願いしていた個人レッスン、今週末お願いしたいんだけど」 彼女には夢がある。 歌手になりたいのだ。 「そうね、私は空いているから、担任の先生に言っておくわね。宮崎先生だったわよね?」 「うん」 「今日はお祭りに行くの?」 「行こうと思って。先生は? 彼氏と行くの?」 「どうかしらね」 笑ってごまかす。 「先生は山車に乗ったことあるの?」 「残念ながら、先生の頃は子供が多かったからね、乗ってないの。安積さんの頃は強制だったんじゃない?」 「うん、さすがに今年は受験生だし、免除されたけど」 「じゃあ、気を付けていってね」 「先生本当に彼氏と行かないの?」 「行くとしたら仕事として行くかな。羽目外しすぎると先生たちに注意されるから気を付けてね」 はーい、と間延びした返事で、彼女は教室の方へ去っていった。 職員室に戻ると、私は宮崎先生を探した。体格のいい、体育の教諭だ。何となく存在感があるので、すぐにわかる。デスクも近い。 まだ授業から戻っていないのかなと、姿を見つけられずに自分のデスク前に着いた瞬間後ろから探し人に呼ばれる。 私はちょうどよかったと、宮崎先生に挨拶する。 「安積さんの件でお話があって」 「そうでしたか。実は僕も少しご相談があって」 「なんでしょう」 「先生のお話から先にどうぞ」 年のあまり変わらないその人は、爽やかな笑顔でこちらを見ている。好青年という言葉がよく似合う人だ。つられて私も笑顔で話し始める。 「安積さんの個人的な声楽のレッスンを今週末に行います。音楽室は吹奏楽部が使っているので、市の芸術センターのレッスン室を借りますがよろしいでしょうか」
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