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彼のマンションにはグランドピアノがあって、防音がしっかりきいている。
「何か飲もう」
と、私に適当にくつろぐように言った。
5階建てのマンションの最上階。落ち着いた閑静な住宅街で、カーテンを少し開けて外を眺める。家々が並んでいる。
ふと窓に映る自分の姿を見た。少し着崩れしている。
おはしょりを整えてから、グランドピアノの前に立った。
先輩のピアノ。
二人で初めてデュエットした演奏会の打ち上げをここでした。
酔いながら、先輩が鍵盤を叩き、私を誘う。
それにのせて私はハミングをする。
お酒を飲んで歌うとのどに良くないから、せめてハミングでメロディーを奏でる。
ピアノにもたれかかり、彼の指先を見つめながら、即興の行く先を探る。
『みづき』
目が合う。
椅子から立ち上がってもなお弾き続け、彼の唇が私の額に触れた。
音は途切れて、唇が重なる。
この日から、私たちは付き合うことになった。
あの日を思い出して、私は鍵盤を弾いた。
座って、あの日のメロディーを何となくたどる。
自分なりにアレンジして。
『付き合おうか』
好きだと言われたことはなかった。
―――私も、言えなかった。
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