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もしかしたら、彼もコンサートに来るかもしれない。そんなことは最初からわかっていた。彼は、同じ音大を出た先輩で、今日の出演者たちとも共演することは多い。
わかって来ている私は、本当に未練たらたらだな、と心の中で自分を笑った。
最寄りの駅に着いてすぐに花屋さんに向かう。前にも一度こんなことがあったから、その足に迷いはない。
けれどそこにはなかったのである。
―――困った。
私はスマホを取り出して、近くの花屋さんを検索する。
他にもあったはずだ。コンサートホールが近いのだし、もしかしたらホールの入っている建物に花屋さんが入っていたかもしれない。
上手く検索結果が出てこないので、ひとまず会場に向かおうと、顔を上げた時だった。
「あ、」
私を見る人がいた。思わず声が出る。
上質なスーツを着た、細身の男性。
私の視線は泳ぐ。
「あ、お久しぶり、です...」
とっさにそれだけ言って目を伏せた。
「ここ、花屋無くなったんだ」
どうやら彼も同じことを考えていたらしい。それもそうだ。ここを教えてくれたのは彼だった。
動揺してまともに顔を見ていないが、相変わらず、オーラのあるイケメンだ。
そう、この人こそが、私の忘れえぬ人。
「みたいです」
「会場の花屋は今頃混んでるだろうな」
仕方ない。もしもの時は入場する前に注文して、休憩中に引き取ってスタッフに届けてもらうしかない。
「着物、似合うな」
まるで、何もなかったかのように、昔のようにさわやかな笑顔で話しかけてきた彼に、私はどぎまぎしてしまう。
「せっかくだし一緒にいこう」
私は、頷く。
何となくゆっくりな歩調で私の一歩前を歩く彼。ああ、私が着物だからだと自覚した。
会うだろうと思っていたけれど、会場で会うと思っていた。さらに言えば、遅れてやって来るんじゃないかと思っていた。何かと待ち合わせには遅れて来る人だったから。
心の準備が出来ていなかった。
本当はもうちょっと早く歩けるのだけど、あえて告げられるほど、心に余裕がなかった。
「元気にしてた?」
「はい。先輩も、お元気そうで」
ふと見上げたら、彼は優しい顔でこちらを見ていた。すぐに前を向いてしまったけれど、その表情がとても眩しかった。
会えて良かった。
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