23人が本棚に入れています
本棚に追加
/95ページ
着物だと、こうして周囲に気を使わせてしまうことがある。そんなに制限される行動などないのだけれど。
「そう、なら」
と、連れられたのは寿司バーだった。
軽く日本酒を嗜んでいる彼のとなりで、モダンな手まり寿司とおばんざいのプレートをいただく。田舎じゃこんなにお洒落にお寿司を盛り付けたりしない。ネタに薬味がきれいに盛られて、思わず写真を撮りたくなるほどきれいだ。
けれど、上手く喉を通らない。
緊張してしまって、手が震える。
いっそ私もアルコールを入れた方がよかったかもしれない。
「いつこっちに?」
突然の質問に、口に含んでいたお寿司をやっとこさ飲み込む。
「さっきです。新幹線から乗り継いで、着いたばっかりです」
目が瞬く。
「本当に慣れているんだな。自分で着付けも?」
「はい。元々、小さい頃から着ていたので」
「知らなかった」
「演奏ではさすがにドレスを着ますからね」
「ピアノはともかく、声楽なら構わないだろう」
「気持ちの入れ方が変わるんです。ヒールじゃないと」
「ふーん」
ふと、彼と練習室で一緒に演奏したことを思い出した。
初めて会ったのは、私が音大に通っていたとき。私の先生に、OBである彼が会いに来て、遭遇した。彼はまだ無名のピアニストだった。
それっきりだったのに、再会したのは私が高校の非常勤講師として音楽を教えていた頃。
社会人枠の声楽コンクールに出たときに、たまたま再会したのだった。審査員として彼は目の前に座っていた。
『教師にしておくのはもったいないね』
帰り際、そう声をかけられた。
それが2年前のこと。
それから何回か、定期的に行われる彼の小さな演奏会に、ゲストとして出演させてもらった。
そのために、何度も芸術センターの個室の練習室を借りて練習した。ときには彼の家にもお邪魔した。
最初のコメントを投稿しよう!