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隼人、と呼ぶ声がする。
視界は暗いまま、声だけが聞こえる。僕を呼ぶ声が、聞き慣れた優しい声が、暗闇に反響する。
もう一度、隼人、と呼ばれる。
だれ、と微かに口だけを動かした。感覚的に、今自分は横たわっているのだと気づく。更にもう一度、今度は頭の中に直接響く。――隼人。
ふと、視界がクリアになった。僕の家のリビングである。周りを見回して状況を確認するに、どうやら卒論を書いている間に寝てしまっていたらしい。隣を見れば、優衣が寝言なのか、肩に寄りかかりながら小さく僕の名を呼んでいる。これか、と思わず表情が綻んでしまう。
時計を見れば八時五分前であった。今日は僕も優衣も講義がない日であるため、ゆっくりと卒論に専念できる。ひとまず、僕は優衣を起こさないように立ち上がり――支えを失った彼女は緩やかに横に倒れていく――台所に行き冷蔵庫の扉を開けた。卵と、ベーコンと、少々のチーズに、農家である実家から仕送りされてくる野菜だけは大量にあった。あとは細々としたものばかり。
サンドイッチでも作れるか、と僕は棚から食パンを取り出し、手早く食材を適当な大きさに切り、パンで挟んでいく。五個ほど作り、最後にパン切り包丁で一息に半分に切り分ける。これで十個。
こんなものか、と僕は優衣を起こしにかかる。何度か彼女の身体を揺すると、やがて寝ぼけながら目を覚ました。
「んー……眠い……」
「起きなよ、朝ごはん作ったよ」
「んん……食べる……」
「顔洗っておいで」
優衣はのそのそと洗面所に行き、その間に僕はサンドイッチを皿に盛ってリビングに運ぶ。しかし手頃な置き場がなかったため、結局卒論の下書きを端に寄せて机に空間を作り、そこに置いた。億劫そうな足取りで優衣が戻ってくる。
「サンドイッチ?」
「あるもので作ったから、もう何もないよ」
「なら、後で買い物に行かないとね」
優衣は冷蔵庫から野菜ジュースを取り出し、コップに注ぐ。「先に食べてるよ」そこで、おや、と気づく。指から血が流れていた。先ほど包丁で切ったのだろうか。気づかなかった、と思いながら絆創膏を探す。電話機の横の小物入れに入っていた。
「どうしたの?」
「指、切ったみたい」
大丈夫、と僕は優衣より一足先にサンドイッチにかぶりついた。
とても美味しくできていた。
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