第1章

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 居間へもどると、父もおじさまも真っ赤な顔で揺れている。が、その顔は嫡男が無事元服した喜びに満ちている。父が牧村のおじさまへ顔を向けた。 「十蔵どの、ひとつあんたからみんなに言ってもらえんかのう」 「えっ、わしが話すのか。やはり伝兵衛どのが話すのが筋ではなかろうか」 「いやいや、わしのところは嫁にもらってもらう立場、十蔵どののところはふつつかな娘を受け入れてくれる奇特な家じゃ。だから十蔵どのが話すのがよい」  訳の分からぬ事を言っている。が、向井家と牧村家に娘は自分しかいない。二人の酔っぱらいはにこにこと私を眺めている。 「お前さま、嫁だのふつつかな娘だのと。さっぱり分りませぬ。何のことでございます? もう飲むのはおやめになり、わかるように説明してください」  牧村のおばさまが盃を取り上げると、おじさまは姿勢をただしゴホンと空咳をした。 「詩乃さんを省吾の嫁にもらうことに決めた」  父がその後を引継ぎ不服のある者はおるか、と一同を見まわした。誰も不服などない。ただ驚いているだけ。  次に「いやか?」と私の顔を覗きこんできた。  途端に顔が(ほて)ってしまい「しりませぬ!」と言うのがやっと。突然のことに心臓は高鳴り、台所へ逃げてしまった。  そう、あの日だ! 省吾さまを男として意識したのは。  それからひと月ほどは、顔を合わすと恥ずかしさで目をそむけてしまった。気がつくと、省さまと甘えた呼び方をしていたのが、いつしか省吾さまに変わっていた……。 「詩乃、何をぼんやりしておる。暑さに当たったわけではあるまい」  父が縁側で、眩しいそうに目を細めて立っている。 「まあ、父上。今日はずいぶんお早いのですね」 「朝っぱらから嫌みか。お前も段々母さんに似てきたな」 「娘が母親に似るのは当たり前。それに嫌みでなく少々驚いただけです。何時もより半刻以上早く起きたのですから」 「それ、そのいい方が嫌みだと言うのだ」  草履を引っ掛け、庭におりてくると金木犀を眺めてうるさいのうと愚痴り「蝉は夏が過ぎれはしずまるが、世の中の騒ぎはいっこうに治まらん」と大きなため息をつく。その姿は何故だか急に老けこんだように見え、何も言えず空になった桶を手に井戸へと向った。
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