勉強をするということ

1/1
5人が本棚に入れています
本棚に追加
/12ページ

勉強をするということ

 学生の頃、よく、と言うか毎日のように母に勉強しなさいと言われていた。それを僕はやれ、部活が忙しいだの、バイトがあるだの、友達と約束があるなど、適当な理由をつけては勉強から避けて生きてきた。  とは言っても、最低限の努力はしたし、大学にだってしっかりと指定校推薦で入っているからそれで問題ないだろう、なんて考えていた。  大体、どんなことだって強制させられると途端にやる気がなくなってしまうじゃないか。我ながら天邪鬼な性格だ。  しかし、ふとこの前、家の庭でぼんやりと空を見上げながら煙草を燻らせていた時に思ったのだ。『あぁ、もっと真剣に勉強しておけばよかったな』と。  ただ、僕が言う勉強しておけばよかったというのはいわゆる国語、英語、数学などの事ではない。いやもちろんそういったことを勉強することも大事だけど。大事だけど。特に今は英語とか、、、  それよりも、僕としては色々なことを経験するべきだったと、そう思うのだ。例えば、友達と遠くに旅行に行ってみるとか、ネットに小説を載せてみるとか、ライブスタジオを借りてライブをしてみるとか、美術館に行ってみるとか、なんだっていいのだ。普段していないことに一歩踏み出して挑戦してみる。これらは全部、社会人になったとき、仕事で直接的に活かせることはないかもしれない。けど、その経験は絶対に無駄にはならないのだ。案外この経験が、ここで活きてくるのか、なんて時も少なくない。  もっと言うと考えるこの行為が重要なんだと思う。人間は考える葦である。なんて言葉を残した偉人だっているわけだし。  と、結構長々と言ってみたけれど、これが正しいなんてわけでもないので、話半分に読んで頂けると。ただ、一つだけ確かなことは、勉強しなさい、と言ってくれる人がいるということはとても有難いということだ。ほんと。それだけその人の将来の事を考えてくれてるのだから。まぁ、そう言いながら、僕自身言われてた時は微塵も有難いなんて思っていなかったんですけどね。だから、もし読んでくれている人が学生なら、今は頭の片隅にでも入れて置くぐらいで丁度いいのかも。有難みに気付いたときにその人にお礼ができるようにすればいいんじゃないかなと。  さて、都合よく2018年5月13日は母の日だ。僕も感謝の意を込めて洋菓子でも買おうと考える梅雨入り間近のそんな夜だった。  
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!