18人が本棚に入れています
本棚に追加
「そろそろゴミ捨て行くか」
生ゴミ入りのゴミ袋を手に持ち、サンダルを突っかけた。食事は外食が多く、主にたまるゴミは空き缶やペットボトルといった飲料類ばかりだが、コーヒーかすだけはこの日でなければならなかった。
以前、入居していたマンションは一日中ゴミ捨てが可能だった。朝に起床できない、仕事の出勤時間が早い、ゴミ捨て自体を忘れがちな俺にとっては多大に助かる場所だったが、一年と経たずに巨大なゴキブリと対面してしまい、速攻で引っ越しの決意をした。
悪臭と共にゴキブリの面倒を見てくれといわんばかりの壁面汚れも、要因の一つではあった。
しかし、一番の偶因は他にある。
「おはようございます。今日も良いお天気ですね」
車道一本を挟んだ平屋建ての玄関前を掃除しながら、彼女は満面な笑みを向ける。
ひと目では酒が残っていないよう映るが、風に乗ってふわりと香っていた。
「……おはようございます」
ぼそぼそと挨拶を返す。
「田淵さん。昨日も遅くまでお仕事だったんですか? 爽やかな朝なのに暗いですよ~」
彼女は田淵健吾こと俺の住む五階建てマンションを管理している大家だ。
すらりと手足が長く、平均よりやや背の高い彼女で、おっとりとした性格からはうかがい知れないが、実は過去に護身用としてキックボクシングに汗を流していた時期があったという伝説があるそうだ。
手を出そうとして返り討ちに遭った男は数多いるとかいないとかと、ゴミ捨てに来ていたご近所同士がその場を離れた後で口にしているのを偶然耳にした。
ヘタレな俺は目を合わせることもできなければ、日常会話さえ憚られたため、直接確かめたことはなかった。
最初のコメントを投稿しよう!