十二章

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夏基の鼓動が、直に聞こえる。夏基は私の頭を雑にもてあそびながら、不満げな声を出した。 「お前いつも好きなものとか人を目にすると楽しそうにはしゃぐけど、俺はそんな態度取られたことないな」 本当に俺のこと好きなのか? と悪態をつかれる。 「き、嫌いじゃないわよ」 だから付き合ってるのに。 「なんだよその微妙な答えは。お前少しくらい素直にものを言えないのか」 ……言ってくれる。 私は仕方なくサイン会の前に目を通した戸倉(とくら)先生の小説の一節はどんな文章だったか。 確か……「直子は、私の腕の中から顔を出し、ひんやりした柔らかな手で、私のほおを掴む。すべすべとした感触に私が動揺を覚えると、彼女はその顔にゆっくりと美しい相貌を近づけて、小さい唇を」…… 記憶をほじくり出しながら、そっくりそのまま「直子」が「私」にしたことを、夏基にしてやった。少し、大人向けのキスだ。 こんなキスは初めてだけど、戸倉先生はいちいち克明(こくめい)にやり方を書いているので、それに沿ってしまえばなんとなくできた。
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