第二十九話  平穏な日々

1/4
前へ
/408ページ
次へ

第二十九話  平穏な日々

おばばの遺言などなくても、人と交わるつもりはなかった。 しかし、姫の提案を断ることなどできそうになかった。 姫が親族から借りたという書物が目の前に積み上がっている。 いずれも建築に関する書物だ。貴重なものであることは、老臣の様子からも見て取れた。 むろん、鬼の子に見せる、などとは言わなかっただろう。 むさぼるように読んだ。 正しくは見た。 図だけを眺めてもすべてを理解することはできない。 悔しいが、読めない文字も理解できない言葉も算術もあった。 持ちだせないと聞き、姫にもらった紙に書き写した。 紙は高価なので小さな文字で、ちまちまと書いた。 人からものを教わるなど、考えたこともなかったが、すべてを理解したいという誘惑には勝てなかった。 読み書き、算術を学ばねば、これらを理解することなどできない。 持読とやらを受け入れるほかあるまい。 帰り際に老臣が一言つけ加えた。 「作りたいものがあれば材料や道具はこちらで用意する。遠慮なく申しでよ」 思ってもいなかった提案だった。 その日以来、毎日夢を見るようになった。 父と母の、あの夢だ。 骨と皮になりながらも仏に感謝して手を合わせるおばばの姿だ。  
/408ページ

最初のコメントを投稿しよう!

288人が本棚に入れています
本棚に追加