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第五十二話 脱出
得物を手にした黒い影が立ち塞がっていた。
気がつくと足が止まっていた。
吠えようとしたができなかった。
鋭い眼光に射すくめられ、足がすくんだのだ。
逆光なのだから眼光など見えるはずもないが、そう見えた。
一歩も動けなかった。
目の前のモノは人の形はしているが人ではない。
月の光を浴びた紅く長い髪の毛が、風もないのに広がった。
まるで生きてでもいるかのように。
いつの間にか尻尾を丸めていた。
その時、指笛が鳴った。
攻撃の合図だ。
痺れを切らしたのだろう。
その音が呪縛から解き放った。
*
犬たちが尻尾を腹の下に丸め、情けない声を上げながら引き返したのを見てイダテンは手斧を下ろした。
寒さに震えていたにもかかわらず全身に汗をかいていた。
先ほどの鎧武者に続いて戻らなければ、さすがに矢が降り注いできただろう。
じりじりと包囲を狭めていた兵たちも予想外のことに動きを止めている。
自分たちが相手にしているのは鬼であったということを改めて思い出したに違いない。
足もとに縄の束が転がっていた。
落ち延びてくる者があれば、このあたりに追いこみ、足でも引っ掛けようと考えていたのだろうか。
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