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昔々、まだ、この地に龍や物の怪が棲みついていたころ。
都から遠く離れた国の山奥に、イダテンと呼ばれる鬼の子がたった一人で住んでいた。
*
この地の国府は、小島の浮かぶ穏やかな海と連なる山々に囲まれた場所にある。
国衙後方にそびえる高尾山の頂に鎮座する巨大な岩の上から眺めると、それがひと目でわかる。
その岩の下の窪みに小さな御堂がひっそりと建っていた。
格子越しに中を覗くと、地元の漁師が網にかけたという、一尺(※約30cm)ほどの観音菩薩像が慈愛に満ちた表情を浮かべている。
差し込んだ朝日が磨き上げられた銅製の香炉に反射し、尊顔の後方を丸く照らし出した。
それはまるで後光が射しているように見えた。
底冷えのする朝にもかかわらず、この場所だけは暖かく柔らかい光で満ちていた。
*
陽も差し込まぬ、切り立った峡谷の崖の岩場を踊るように進むものがある。
堂々とした体躯と雄々しい角を持つ牡鹿だった。
その牡鹿が足を止めた。
気配を感じたのだ。
油断なく、ゆっくりと辺りを見回した。
だが、その目に映ったのは紅葉が点在する対岸の崖と岩の転がる渓流だけだった。
考えてみれば、自分の身を脅かすものがこのような場所にいるはずがない。
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